フンパツして20個箱詰めにしてもらった。松井田駅まで歩きで行く。車で行くとお客さんに「何日間、駅に車がとめてあったけど、どこへ行っていたのですか」と聞かれちゃうもんだから、歩きと決めている。途中、中瀬橋の碓氷川を渡る時は、強い風が吹こうが両手がふさがっていようと帽子が飛びそうになっても、どうしてもライズを探してしまう。橋を渡り切るまでに、ハヨ(ハヤ)でもいいからライズを見せてくれと、歩く速度を落とす自分がいる。こんなに寒いのだからライズなんかないかと、脳味噌がひとりごとを言いながら、急勾配の曲がりくねった階段を上り、東京へ着いたのはもう薄暗かった。
さっそく姉は生菓子の箱を開いて、「どれも私の好み」と喜んでくれた。
○
次の日は大晦日で、大手町駅から皇居を一周しようと、ぼつぼつ歩きだした。話には聞いていたがひっきりなしにマラソンをしている男女が、それもけっこうな確率で外人の男女も駆けて来る。皆センスが好い。まるでフォックスファイヤーのカタログから飛び出て来た様な服装で、お尻には小型の水筒が弾んでる。私の地元の田舎でも、朝まだ暗いうちに何人か女子も町内でマラソンをしているが、当たり前だが寒いのでかなり着こんで走っているし、水筒なんかお尻で弾んでいない。
白い息を吐きながらオハヨウございますと小声で言って私を追い抜いていき、私が数十メートル歩く内にはもうはるか彼方、米粒のようになっている。
道路の向こう側に毎日新聞本社? 私がいる方は左上の方に東京国立近代美術館がすぐそばに見える。私はどちらを選択するか信号待ちをしていたら、橋の踊り場みたいな所に絵を描いている年輩者が一人。「あのちょっと絵を見せてくれますか?」「構わないよ」「これって油絵ですか」「そうですよ」「まだ時間がかかりそうですけど、あとどのくらいかかりますか」「そうですね、あと1時間ぐらいですかね?」
私が見ていた絵は、まだ下絵のように見えた。どんな絵に仕上がるのか。なぜだか急に完成した絵が見たくなって、自分でも思いもよらない言葉をはいていた。「もしかしてこの絵は売ってもらうことは出来るのですか?」何と「いいですよ」と言ってくれた。私もずいぶんいい加減な男である。まだ絵は半分も出来ていないのに、いつもは人の後ろで、ウジウジしている自分であるが、自分の興味がある物は変に別人になれてしまう所があり、もうその時は「いくらぐらいですか」と値段を聞いている自分がいた。こまった性格だ。あ〜。
(まさか買いはしないよな、言ってみただけだよな)と、こころのなかで確認した。しかしその年輩者は「いくらぐらいかな」と、具体的に数字を出してきた。「へ〜。じゃあと1時間ぐらいはここで絵を描いているのですか?」「そうですね」「ま、頑張って下さい」。
○
私はお濠沿いの方に信号機を渡った。あれ、さっきまでと違う。マラソンランナーが、誰一人走っていない。でも確り私の左側にはドーンとお濠が続いている。すると何処かで見覚えのある、特徴的な屋根が見えて来た。日本武道館だ、日本武道館って、こんなところにあるんだ。へ〜。それからあれ、あれ、九段会館てこんな所にあるんだ。確か3.11のとき天井が崩れて、怪我人が出たとニュースで行っていたよな、歴史を感じさせる趣のある建物だ。歩を進めるとあれ、さっきの武道館の前に戻り、若い人たちが行列を作っていた。どうやら藤井フミヤという人のコンサートが今日の大晦日にこれからあるようだ。ファンて、有難いよな。
ひっそりした道路を進むと、あの橋の信号に出て来て、腕時計を見ると約1時間だ。まさかとは思ったが、亀が顔をニューと出すような感覚で覗きこんだ。あの年配の画家がいた。ちょうど帰るところで、キャンバスを持ち、道具類を押し車で2、3歩歩きだしていた。あと1分遅かったら、会えずじまいですんでいたのに。と思ったその時はもう、私から声をかけていた。「絵は完成しましたか?」「出来てるよ」「じゃちょっと見せてくれますか」「いいよ」。
まだ絵が渇いていないので、キャンバスの留め具を外して見せてくれた。最初見た時とさほど変わっていないように私には見えた。何だかぐちゃぐちゃの、よく分からない絵に見えた。「どうもお騒がせしちゃってすいませんでした」と断る自分と、「皇居のお濠をまわった記念にどうだ一枚」という、もう一人の自分がシャシャリ出て来て、その時はもう値段交渉をしているではないか。
あれれ、と思っているうちに、「すいません、描いた絵をバックに写真を獲らせてください」とシャッターを押していた。「すいません、絵にサインを入れてもらえますか」というと、せっかく片付けたのにまた絵具を出して、サインを入れてくれた。「お歳は」と聞くと「82歳」と答えてくれた。サインはUCHIMA≠ニ書いてあるように見えた。嬉しいのか、「私も今回の絵は物凄くいい出来だと思いますよ」と何回か言う。言えば言うほど、私の直感が崩れ落ちていく感覚に襲われた。
UCHIMAさんは、私が絵が持ちやすいように荷造りしてくれた。美術館の方に歩いて行けば皇居を一周できる。群馬から来たのならぜひ一周してみて下さい、と促された。ひとつ多くなった荷物を右手に持ち、また歩きだした。マラソンをしている人が私を追い抜いて行く。
○
お濠の石垣にはおどろいた。まるで、日本中の川の石を1回どころか3回ぐらい集めたのではないかと思わせるぐらい、お濠の石、石、石は続く。国会議事堂が見えて来た。へぇ〜、こんなところにあるんだ。ゴジラが口から火を吹いて、今にも現れそう。私の脳味噌は全開だ。
マラソンの人が何人も桜田門に吸い込まれていく。ここで足を踏ん張って止めないと、桜田門外の変のあった155年前の3月雪の日に迷い込みそうな予感がした。
彦根藩のお屋敷は桜田門から約600メートルぐらいにあったらしい。暗殺は約3分で終わってしまったようである。太ももから腰に弾が貫通したのが致命傷らしい。155年前に井伊直弼さんが、この辺で命を水戸浪士に奪われた。時代は変わっても、その当時の濠とか石垣は変わらない。井伊直弼さんが普段見ていた景色を私も共有できたと妄想するだけで、偉くなくて普通の庶民で良かったなと思える自分にホッとして、なぜだか周りを見回した。
学校の歴史の教科書の1ページぐらいの説明では、歴史を深く知ることは難しい。自分が興味を持ったら本なんか読んでへぇ〜なんて言ってないで、現地に出かけて自分の脳味噌に肌で感じてもらうといい。西郷隆盛と勝海舟らが無血で江戸開城し、江戸を東京と改称し江戸城を皇居にしたのは明治一年(1868年)だ。皇居を一周したことで教科書を1ページ読んだのとは違い私の体が脳味噌に実感を与えてくれた。あらためて無血で江戸開城って凄いことだなと思うことができた。
○
もういい時間になっていたのだが、よくばって東京駅が新しくなったということで、重たくなった両足で無理しちゃって、見に行った。こういう時ってついつい頑張っちゃうんだよな。
辰野金吾さんが設計した東京駅舎があれだ。駅の正面にある白っぽいパネルが壁となり、東京駅は完成されているのだが、どうしても全景を撮ることができない。もう夕方で駅舎の窓から明かりがもれていた。昔の袴姿の睨みつけるような金吾さんでは無く、よく昔の形にきれいに仕上げてくれたと、金吾さんがうなずいているような空気感があった。その瞬間だけでもう辰野金吾さんの気配は消えていた。
中山道といえばやっぱり日本橋だろうということで、日本橋を一回は自分の足で歩いて見ないことには「中山道の釣旅」のお題目に申し訳がない。着いてみたら、なんだ、これ。まわりの景観がメチャクチャだ、ただお金がかかっていそうなキングギドラもどきが、欄干に鎮鎮座ましましていた。私は毎朝、妙義山を遠くに眺めながら碓氷川を覗き込むときの、あたりの景色が大好きだ。中山道は松井田宿に暮らしていてよかった。
時間があるので、東京スカイツリーにも行ってみた。首が痛くなるほど見上げながら写真を撮ったが、どうやっても全体が入らない。上に登ってみようという気も不思議と思わなかった。高所恐怖症だからではない。結局水族館に行った。魚でもペンギンでもなくクラゲが1番飽きなかった。
東京スカイツリーの隣の建物で書道をやっていた。縦13メートル横3メートルの用紙に字が書いてあった。正月そうそう下世話な話だけど、場所代いくらなのだろう。先生はどう見ても30代の男の人だった。お弟子さんが明日もここで字を書くと言っていた。字の上手い下手とは関係なく、どこかの大金持ちの御曹司だろうかと思った。
次の日は明治神宮へ初詣に行った。はじめてのことだ。はるか遠くに見える、お賽銭箱ではない大きな箱へ向かってお賽銭を投げた。一番前まで行ってやろうと頑張ったが何だかヘルメットが欲しいぐらい皆さんのお賽銭の雨が凄かった。ほとんどが小銭だったようだ。お札もあったのだろうが、私には見えなかった。
○
そんなこんなで私の2015年は始まった。帰る時に姉が言った。「大晦日に82歳のお年寄りから絵を買って上げたのだから、82歳のお年寄りもきっとよいお正月が迎えられたのではないか? だからあなたにはきっとよい年になる」。いつもの3倍の大きさののりで包んだおにぎりを、「途中でお腹がすいたら食べなさい」と、飲み物と一緒に持たせてくれた。私が帰り道にどこかの食べ物屋さんに寄って食事をする人間ではないことを姉は知っている。
高崎の駅の長椅子で、のり3倍のデラックスおにぎりをほおばって食べた。松井田の駅に着いたら今まで温かい車内にいたせいか、私の背骨が寒さでシャキッと目を覚ました。
・・・・・
小板橋伸俊(アンクルサム/群馬県安中市松井田町)
※「マルタの雑誌」は季刊『フライの雑誌』読者が対象のweb投稿企画です。
ご投稿はinfo@furainozasshi.comまで