第13回箕輪城まつり 後篇
今日は西暦1500年ごろにタイムスリップすると思うと、いい年をしてハズカシイが早起きをしてしまった。空は晴れている。雨男としてはウキウキ感倍増。一人でテンション上がりっぱなしで林家三平さんではないがどうもすいません。
駐車場に着くと警備員の人がこちらにと指図する所に車を止めた。今日は長丁場になると思いペットボトルとお手製のサンドイッチをナップザックに押しこんでいざ出陣。二の丸に係員がいたので、武者行列はどちらの方向から上がって来るのですかと係員に聴いた。近くにいた人が、「おいおい、鎧を着た武将が軽トラで運転してくるぞ。こんな光景はめったに見られねいぞ〜。」
私の背後を軽トラが走り去る気配を感じた時は、ことすでにおそし。今日最高のジャッターチャンスだったかも? 自分の脳味噌に、これから、これからと慰められて本丸へ歩を進めた。
入場門南側、東と西それに北側の東と西に1門づつ、計4門真黒に塗られた大砲が、木車の上にドカーンと鎮座している。それなりの大きさだ。でもただの丸太じゃないかと、私の脳味噌は馬鹿にしている感があった。西側には、いかにもお偉いさんが腰を下ろす床几(陣中・狩り場などで使う、あしの交差した腰掛け)がずら〜りと、並んでいる。衝立には長野氏の家紋である扇の紋がずら〜り、と並んでいる。その後ろには、武田氏の武田菱と織田氏の五つ木瓜と長野氏の扇、北条氏の北条鱗と井伊氏の彦根橘の家紋が描かれた旗差し物が、渋く上州のからっ風に舞っている。
西暦1500年前もこんなふうに、家紋の描かれた旗差し物の、箕輪城攻防戦の始まる前も舞っていたのだろうか?
東側に幾張りもテントが連なっている。その中に何人も座れる木の長椅子がこれでもかとばかりに、ずら〜りと置いてある。スタッフの人に始まる時間を聞くと、箕輪城まつりの黄色い総合プログラムを下さった。案内図もあるのでわたしは武者行列の出発地点の箕郷支所へと歩き出した。
人のザワザワ感を感じたと思ったら、箕郷支所に着いた。鎧兜の武将や足軽、子供たちは忍者の出で立ち、それに修験者など。その中で和弓礼射が始まって居た。色々なスポーツや武芸などあるが、和弓には人間的にも落ちつき払った品のある人物が多いような気がする。それに若くてベッピンさんがいる。
やあ、やあ間に合ってよかった。火縄銃礼射が始まったが、オドロイタなんてもんじゃない、何につて火縄銃の音にどどどどか〜ん。何事が起ったかと思った。森重流火縄銃の演舞だ。旧下田邸書院及び庭園の前でに、火縄銃の真っ白い噴煙が松の木にからみつくように、少しとどまるようにして空に消えていく。私は火縄銃の音はパーンぐらいにしか思っていなかった。何事にも通じることだが本物を体感することだ。
テレビで戦国時代の合戦に火縄銃が何挺も並んで連射する映像を見るが、所詮テレビの中の音だ。本物の火縄銃の音と迫力は、火縄銃一挺の足もとにも及ばない。戦国武将も命がかかっているとはいえ、火縄銃の迫力と音には怯んだのではないか。
演舞するのは全員で八人だ。その中の隊長がカッコイイ。空砲とはいえ火薬を使っているので、何かあってはいけないとたえず全体に気配りをしている。一人がおかしいという時は駆け付け、瞬時に対処して、撃たせる。それでも駄目な時は隊長の銃を差し出して、撃たせる。俺なんかそういうのって痺れて感激しちゃうんだよな。オイオイ感動ばかりしていて、まだ武者行列も箕輪城攻防戦も始まっていないじゃないか。
武者行列が始まった。刀や槍の先は柔らかそうな素材で出来ているようだ。鎧兜を借りると返す時にそれに付属した下着をクリーニングして返さないと駄目らしく、すぐ1万円ぐらい掛かってしまうらしい。どうせ自分が大好きなことだからお金を出して鎧兜を作ってしまった方が安いという人たちが、結構いるらしい。ちなみに私が聴いた人は、一式ご、ご、50万円だそうだ。群馬県にも鎧や兜を作っている所があるそうだ。フライフイッシングの趣味って安いもんですね。
鎧や兜がぶつかって、ガシャン、ガシャンと金属音がする。私の目にとびこんでくる鎧兜の武者は皆さん俺が大将だといわんばかりの五十万円コースだ。兜鎧で一人14キロから20キロはあるそうだから、大迫力だ。足軽などはフエルト素材風だ。
武者行列コースは勘定町(箕郷支所)⇒四つ谷⇒鍛冶町⇒本町⇒矢原宿と進む。最近都会の方では、町名が昔の町名ではなく、近代的な町名になっていると聞く。私の暮らしている松井田は中山道の宿場町だ。ちょっと優越感を覚えることもあった。現在の箕郷町の武者行列コースは素晴しい蔵がいくつもあり、時代劇に出て来るようだ。きちんとお金をかけて綺麗にしている。松井田宿には今はこんな建物は何軒もない。さみしい限りだ。箕郷町は長野氏から現在まで途切れることなく文武両道を貫いている。
足軽らしき人たちが背中に背負っている赤と青の旗が、ヨットの帆がピーンと張っているように見える。サメの背びれのようで、戦闘態勢全開に見える。大河ドラマの真田丸に出てくる武田氏、織田氏、滝川一益公、北条氏に真田の六文銭の旗も靡いていた。真田の領地は群馬県沼田市にある。
いよいよ箕輪城の虎韜門に武者行列が到着した。山城の鍛冶曲輪から山登りが始まった。二の丸に到着。陣太鼓の勇ましい音がガンガン本丸から聞こえて来る。お祭りで聴く太鼓の音ではない。なにか得体のしれない、人間の神経を麻痺させて、戦いに没入させてしまう魔力のある音楽に聞こえた。音楽は心を癒してくれるものだが、時と場合によっては大変恐ろしい音にもなるんだと、私の脳味噌は察知したようだ。
本丸に到着。武者行列は太鼓の音の中と大観客の前を堂々と行進した。法螺貝の音を合図に演武「箕輪武士」「獅子舞奉納」「新陰流の演武」「森重流火縄銃演武」などアトラクションが行なわれた。ステージにはお偉いさんや姫などがずらりと腰掛けている。
最初に鎮魂祭箕輪城に関わった諸武将への慰霊の神事があり、南に長野軍、北に武田軍に分かれた。朝に見た、あの黒塗りの木の大砲が火を噴いた。火薬玉が何と私の右手拳ほどの大きさがある。写真の煙の凄さからどのくらいの迫力かお察し下さい。それが四か所、ほぼ同時に爆音をとどろかせるのだから空砲とはいえビックリドンだ。木の大砲だと馬鹿にしていた所があったがほんとに恐れ入りました。
長野軍が青色で、武田軍が赤色に分かれているようだ。大人の長野軍の武士と武田軍の武士が戦う時は、双方が顔を見合わせるとどちらもほんとに負けないぞという顔をしている。しかし暫くすると、俺は武田軍だからここで負けないといけないんだ、とばかりに斬られて、倒れこむ。どうも子供たちはほとんど長野軍で、武田軍を斬る役回りのようだ。
広い戦場で百人以上が戦う訳だから普通は何だか訳が分からなくなるが、よく考えられていて、南側に高い櫓が造られていて、そこにプロの講談師がいる。現在の合戦状況を手に取るように喋ってくれるので、どんな合戦になっているか、まるでテレビでサッカーの生中継を見ているように、自分の贔屓のチームが優勢か劣勢なのかが良く分かる。大変面白く見ることができた。
中ほどで、武田義信対藤井友忠の一騎打ちがあり、講談師が我こそは武田義信であるとお互いに名乗り、それから一対一で戦場狭しと、本気で戦ってみせた。刀や槍を本気で振りまわすので、怪我をしないかひやひやである。その証拠に槍の柄がボキと音をたてて折れた。その瞬間、観客席の皆さんが「大丈夫か」と身を乗り出した。最後はお約束なのか、お互いに地面に転がりあって、相手に止めを刺して勝負あった。講談師もうまく話してくれるので、観客席からもヤンヤヤンヤの大喝さいが湧き起った。場を盛り上げるためにあの大砲が四隅でドーカン、ドカーン、ドッカーンと、白い煙に覆われて戦場さながらの雰囲気で、私の魂はその場に浮遊した様な感覚に陥っていた。
戦いの後、武田軍が撤退し長野軍が本丸中央で「勝ち鬨」をあげて、攻防戦は終了した。閉会の挨拶が終わり、その後手作り甲冑の披露を兼ねた写真撮影会が行われた。皆さん武将はどう見ても50万円ではきかないお値段かもしれない。皆さん大変凝っている。まだ合戦の余韻が残っているせいか甲冑の写真撮影会ではなく、西暦1500年前の武将と相対しているようだ。
いい世の中だ。
追伸1 私の町の某金融機関に『フライの雑誌』を置かせてもらっている。しかし実態は奥様方が多いせいか、雑誌置き場ではファッション誌や料理本、黄色やオレンジなどの色の雑誌が幅を利かせている。いつも女性誌が一番上を占領しているので、『フライの雑誌』は片づけられてしまったかと探して見ると、かならず一番下になっている。しょうがない、奥様が多いからなと思いながら、私の右手は『フライの雑誌』をすくいあげて一番上に置いている。
そんなある日、やせ細った80歳は行くだろうと思える老人が、緑の渓流の表紙の『フライの雑誌』第105号を食い入るように見ていた。見てくれる人がいるんだと私は嬉しくなって、80歳ぐらいの年輩者がそんなに食い入るように見ているページはどこだろうと思い、年輩者の前をゆっくり通り過ぎながらそっとのぞいた。牧浩之さんの鳥撃ちのページだった。
しばらくすると、受付の女性が「松井田猟友会さまー」とアナウンスした。金融機関の10分もない待ち時間で、置き場の一番下にあっただろう『フライの雑誌』の終わりに近い鳥撃ちのページを見つけ、真剣に記事を読むなんて、80歳を過ぎているだろう猟師の嗅覚はさすがだと思った。ぜい肉のない細身の体の猟師の後姿には、ベルトに今どきめずしいタオルがぶら下がっていた。
追伸2 『フライの雑誌』の編集長から「小板橋さん、〈箕輪城まつり〉の後篇が届かないですよ。前篇の頃はまだ草が緑だったのに、もうそちらは白くなってるんじゃないですか。」と電話をもらっちゃって、どうもすいませんでした。
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小板橋伸俊(アンクルサム/群馬県安中市松井田町)
※「マルタの雑誌」は季刊『フライの雑誌』読者が対象のweb投稿企画です。
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