「生涯学習のふるさと塾 藤岡方面」という歴史探訪の募集が回覧板で回って来た。見ると高山社跡が含まれている。いま富岡市の「富岡製糸場と絹産業遺産群」が大変盛り上がっている。高山社跡(藤岡)も絹産業遺産群に含まれている。
チャンスが無いと藤岡まで行く事もないので、行ってみようと予約の電話を入れると、もう予約は全部埋まっています。え〜駄目ですか?そこの所を何とかならないですかね。早く予約の電話を入れたつもりだったんですけどね。先着順ですから。駄目ですかね? やっぱり今一番盛り上がっている出来事だから人気があって、当り前だよな、タイムリーな企画だよな、残念だ。あ〜ぁ〜。
次の日の午前中、電話が鳴った。聞きなれた女性の声で、「小板橋さん、歴史探訪何とか都合を付けました」。とのこと。「どうも有難うございました。もう半分以上諦めていたんですよ」「今回の企画は人気があってあーという間に予約が埋まってしまったんです」「無理いって悪かったね」「そのかわり補助席になるかもしれませんよ」「全然OK!」。電話の向こうのNさんとは何十年の付き合いで、私が歴史好きだということをよく知っているので、むりに何とかしてくれたのだろう。ほんとに有難う。
今回のコースはほとんど知らない所だ。どこにでもあるお寺や古墳や神社で、唯一高山社跡がメインのプログラムだ。先生もオクユカシイ人で、「説明する役が私でいいのだろうかと? ほんとは行きたくないんですよ」とマイクでいきなりいいだして、笑わせた。先生頑張って、皆を今日は楽しませて下さい、という雰囲気でバスは甘楽、吉井、藤岡とスケジュールを順調にこなしていった。
藤岡市の南外れの「土師神社」に着いた。
「土師の辻」とは「相撲辻」のことで、屋外で行った相撲の土俵とその場所を意味しています。 つまり、土師神社のある相撲辻ということです。「日本三辻の一」と称されています。何故ここに相撲の土俵(祭場?)があるのでしょう。それは、土師神社に野見宿祢(のみのすくね)という神が祀られているからです。古墳時代に埴輪を焼いた土師部(はじべ)の人々が祖神として祀りました。その野見宿祢は埴輪と相撲の祖として有名です。「土師の辻」は相撲の土俵を形取り、伏せたすり鉢状の土盛りで、高さ160cm、上円径495cm、基部径13mで祭場を象徴しています。
高さ160cmとは、結構高さがある。目が回るかもしれないが、160cmを転がり落ちて来る間に変な力が抜けて、かえって怪我が少ないのではないか? 観客が押しつぶされてしまうかも?
土俵へ上がってみたいという気持ちはあったが自分が一番先に上がるのはと躊躇していたら、一人の体格のいい人が上がったら、何人かが我先にと上がり、女性も上がった。その時は赤信号皆で・・・の勢いで、私も恥ずかしいが10番目ぐらいに上がってみた。一番先に上がれない、情けない自分がいた。土俵から下を見下ろすと、土俵の周りに長方形の石が一定の間隔で立っていた。縄文時代の埴輪さんに囲まれて見つめられているような感覚がわたしの頬を風のように通り過ぎた。
オクユカシイ先生がぼそぼそと話し始めた。
実は10月に、この土師神社で流鏑馬をしているんですよ。そういえば、杉の木が一定の間隔で、100メートルはあるだろうか? 田舎の神社でも100メートルも直線で敷地があるなんて中々ない。流鏑馬はどういうものかとは、知っていたが、漢字で流鏑馬(やぶさめ)て、こういう漢字を書くことも知らなかった。えー。群馬県で流鏑馬が見られるのか?
流鏑馬なんか他の県の出来ごとのように思っていた。たとえば栃木県の日光とか?と思っていたら、先生が今は馬もいないし流鏑馬を出来る人も地元ではいない。日光から流鏑馬をしている人にお願いをして、馬も全部お願いするのだと言っていた。
その話を聞いてから、今年の流鏑馬にはまだ間に合う。見たい、見たい病が私の脳味噌を飛び出して私の全身を馬のように駆けまわっている。先生によると、杉の木の下を物凄い勢いで馬が走り、的に矢を当てる。100メートルの杉の木の両側に、2000人ぐらいの見物人が並んで、息を呑んで、見守るそうだ。そんな話を聞かされた。
やっと、藤岡市の流鏑馬を見る日が来た。絶対期待は裏切らないだろうと、子供のころの遠足の前の日のようなウキウキ感で、お弁当を作った。栗めしご飯だ。栗の渋を取らず、ご飯にもいい色がつくように、デッカイ栗を幾つも入れた。朝一で自分の家の柿を取り、皮をむいて包丁で十字に切った。味噌汁の代わりにコーヒーを作り、ボトルに流し込んだ。
40年以上藤岡方面は行っていない。美九里東小学校からあとは徒歩でという話だったが、カーナビなんかついて居ない相棒の車でも、間違えないで着くことができた。始まりまでまだ2時間半はある。校庭の入り口の所に2人年輩者と若い人がハッピを着ていた。
ここはフライフイッシングと同じで、大事な情報収集をしよう。私は年輩者に声をかけた。
すいません、土師神社まで、ここからどのくらいかかるのですか?
そうさあ、な〜歩いて10分ぐれいじゃねいか?
今日私は初めて流鏑馬を見に来たんですけど、どの辺がいい写真を撮れますかね?
そうさな、的は2か所あってな、何て言ったって最初の的だんベー、スタートからあるていど、準備が出来るだんべー、2か所目は矢を一から準備しなくっゃなんねだんべー。ほれ、馬の上でさ〜だから2か所目のほうが難しいかもしれねいな、いい写真を撮るのならヤッパリ一番最初の的だんべ〜。東側は報道陣の場所だから、矢も飛んでくるからな、おたくはプロかい。
とんでもない2万円するかしないかのデジカメです。
それじゃ西側がいいよ。
馬は何頭ぐらいですか。
わかんねいけど、3頭じゃねいか?
何回ぐらいして貰えるのですか?
去年は2回ぐらいだったよな。(と若い人に聞いていた)
若い人が棒切れで、土の上に地図を書いてくれた。大変分かりやすかった。お陰さまでそうとうの情報量が手に入った。私は深々と頭を下げた。
あんちゃんいい写真を撮ってくれよ。私は素人ですから。といって車に戻った。
はやめのお昼を頂こうと栗飯弁当を開き、いい色に染まった半分に切った大きな栗をポンポン口の中に放り込んだ。ほとんど栗をほうばっているようだ。贅沢な昼飯だ。そうとう高い栗ようかんだって、こんな大粒の栗のレンパツはないぜ。柿も自然のいい甘さで、ちょうどいい。それに温くなった。コーヒーを味噌汁代わりに口の中に流し込む。
2000人も見物客がくるのなら早く行っていい場所を取らなければ。女の人が畑の道を歩っているので、少し早歩きで追いつき、すいません土師神社はどちらか、分かりますかねと尋ねると、地元のものだと言った。私もそこへ行くのでと言うことで、一緒に歩きだした。ここは何が特産物ですか? イチゴです。それにトマトです。あそこに見える土手というか堰堤は何ですか? 神流川ですよ。
土師神社に着いた。二本高々とのぼりがそびえたっていた。地元のおばちゃん連中は慣れているようで、小さい椅子を皆用意して来て、漬物やお菓子など皆で回して酒はないが、まるでワハハガヤガヤ宴会のような騒ぎだ。
南側の朱色の鳥居の方から、法螺貝の音色がここちよく私の耳に忍び込んで来た。本物の法螺貝の音色を聞くのは初めてだ。山伏が吹く法螺貝は、これから修行が始まるという感覚のどこかおもおもしい感覚に私には聞こえるが、土師神社の法螺貝は、どこにでもいる親父さんが、これから花馬行列と獅子舞が通るよ、始まるよと言っているようで、ここちよかった。
神社の建物の方で獅子舞が始まりそうだ。おばちゃんたちに大きい声で、すいません、獅子舞をどうしても見たいので、ここの場所を取っておきたいので、いいですかね? いいよ、と言ってくれた。ボトルと印刷物を杉の木の下においた。なんだか川で暗いうちに釣り道具を置いて、場所取りをしているようで気が引けたが、人間土壇場になると、本性をあらわすもんだ。情けない気持ちが勝っちゃった。
獅子が日本刀をくわえて舞う獅子舞を見るのは初めてだ。日本刀を獅子の口に縛るのは物凄く大変なようで、担当の人は息を呑んで集中している。私たちには分からないが担当者には分かるようで、時々獅子舞いを中断して、ゆるんだ日本刀をまたしっかりと獅子の口に日本刀を縛り付ける。その都度、大人が扇子で下から子供に風を送ってやり獅子をまた体に縛ってやる。大人も子供も大変だ。ほんとに真剣勝負で、獅子舞いを長時間舞った小学生さんご苦労様でした。
ちょっと離れた場所に仮設の馬小屋があり、3頭の手入れがされた馬が1頭ずつ鉄パイプで区切られている。流鏑馬をする人が、支度を整えて、1頭1頭にやさしく、ほんとにいたわるように世話をしていた。馬もしあわせだろうし、これから2000人の観客のど真中を駆け抜ける馬を落ち着かせる意味もあるのだろう。それにしても丁寧に馬の世話をしている。鞍など2人がかりで、優しく装着している。馬に装着する道具類もお互いに大切に、大切に手渡ししている。まだ若そうな八頭身の外人さんも、馬の世話をしている。アメリカ人ならカウボーイだろう。黙って準備をしている。
花馬行列が始まった。3頭の他にもう1頭小ぶりの馬が顔に黄色いマスクをかぶり、背に手作りの紙の花をこれでもかと付けて、保存会の人たちに引かれて行く。いよいよ流鏑馬が始まるようだ。
1頭の馬に乗った白髪頭の品のある年長者が、流鏑馬姿の2人に馬の綱を引かせて、ゆっくりと行進して来た。さっきのおばあさんたちが、「あの人が一番偉い人だ」といっていたら、的の前でとまり、物凄い大声でイヤーァーと気勢を上げた。
的に矢を射ろうとしている。観客から地鳴りのようなうお〜〜〜ぉと歓声が上がった。と思ったら、今度は爆笑の笑い声に変わった。弓矢から矢がはなれず、矢が御辞儀をしている。私からすればよく矢を地面に落とさなかったと思う。そこからが大物は違う。何事も無かったように、打ち直しをして、派手な何と言うのか知らないが頭のかぶり物が朱や青や黄色の短冊の様な物がこれでもかと付いているのをひらひらさせて、胸を張って堂々と私の前を通り過ぎていった。
大物は真剣にやったのだろうが、本人は矢をはなしたつもりが、皮の手袋の様な物をはめているので、矢はそのままで、下に落ちてしまったのだろう。よく矢を下に落とさなかっただけ偉い。本人は失敗してしまったのだろうが、2000人の観客を大爆笑させた。やはり大物だ。
実はわたしも30年ぐらい前に磯部温泉の弓道場で弓道を少しかじったことがある。そこには同級生の女の子が段持ちでいた。私のヘッピリ腰に比べて、白足袋に藍色の袴に藍色の胸当て頭に白の鉢巻きと、所作事が決まっていて、おまけに美人だ。その当時の写真を載せます。わたしにもまだ黒い髪の毛があったんだな。残念だがもうその弓道場はない。
流鏑馬がいよいよ始まる。「出て来たよ」と観客の声が聞こえたと思ったら、来た。デジカメを覗くと馬の尻尾しか写っていない。また、あーという間に的を撃ち抜いて、もう馬は視界からない。こんな調子だと馬のオッポだけで終わってしまうぞ。3回目ぐらいに、外人さんが馬と共に的に向かってきた。見事に命中、的は割れて飛び散った。的の高さが日本人用のようで、若い外人さんは姿勢を少し低くしてなおかつ、上から斜めに矢を放っているように私には見えた。さすがカウボーイのお国だ。それに馬に跨っている姿はさすが八頭身で、ひじょうに映える。カッコイイってな感じ。
今回は3頭が4回ずつ流鏑馬を見せてくれた。
たくさん撮った写真の中に、ぶれているが信じられない1枚があった。矢が的に当たり白鳥がまるで羽ばたいている様に板が舞っている。それに、これ以上ベストの状態はないぐらい気を配っているように馬の目が語っている。これこそ人馬一体だ。
私の体の芯はまだまだ熱いが、気がつくともうロープが外されて、今まで流鏑馬で走った馬の足跡や人間の足跡が細かい砂の中にめり込んで残っていた。流鏑馬の的の割れた板が拾われていたので、もしかしてその板を貰えるのかなと思っていたらそのまま片付けて、持っていってしまった。
帰り道に女性2人と会い同じ道を帰った。もう5年通っているそうだ。随分いいカメラをお持ちでと話すと、女性は「どちらかというと流鏑馬で的に当てるよりは、的を当てた後の帰りの高揚感の様な感覚を、カメラに納められればと思っているんですけどね」と言った。そんな複雑な精神状態をカメラに収めようとする感性恐るべし。
私は的を矢で当てる瞬間を撮ることに汲々としていた。私は目先のことしか見えていない。
車をとめていた美九里東小学校に着いた。すると今朝の年輩者の人がいて、「いい写真は撮れたかい」と声をかけてくれた。いやあ、馬が速くて全然駄目でした。あれ、ここの小学校には土俵があるのですか? 現在群馬県内で土俵がある小学校はここしかないと思うよ? へえ、ちょっと見させて下さい。初代の横綱の名前も書いてあるよ。4本柱で屋根まで付いている。立派な土俵だ。
やはり土師神社の三本辻の関係だろうか。地元の人が歴史と文化を大事に継承しているからだと思いたい。今年は相撲で逸ノ城が凄い。逸ノ城が横綱になったらぜひぜひ土師神社に土俵入りを奉納して、美九里東小学校の横綱と真剣勝負をして貰えないかな。
流鏑馬を披露して下さった人たちは、なんだかモンゴルの人に似ていたように私には見えた。
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小板橋伸俊(アンクルサム/群馬県安中市松井田町)
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