
境内に、家のように柱が4本、屋根に新聞紙がしきつめてあるやぐらのようなものがあった。タツちゃんあれなんですか? 明日はお釈迦様が生れた日です。お釈迦様があの建物の中に入り、皆さんが甘茶をお釈迦様にかける日なんですよ。よかったら小板橋さんも、お寺へ甘茶をもらいに来ませんか。
私にはとても懐かしくなった。たしかそんなことがあったけかな? もしかすると幼稚園以来かもしれない。明日の午前10時ごろからやっているそうだ。崇徳寺さんの帰り、長い石垣の参道を通った。桜の華吹雪が近くの家の屋根よりも高く舞い上がり、桜の満開もいいが散り際もいいもんだなと、感傷にひたる間もなく家に着いていた。

次の日、和菓子のたわらやさんとその友達がm上州漁協の年券を買いに来てくれた。これから2人で釣りに出かけると話していた。たわらやさんがTMC531の#14#16を1箱づつとリーダーを買って行ってくれた。ここらあたりの川では、20何番なんていうフックは、意外と使うひまがない。すぐ#14あたりが常連のフックになってしまうものだ。
そろそろ午前11時を回るころだ。崇徳寺さんにはお店から歩いて2分30秒で着いてしまう。本堂に近づいていくと、子供のわ〜、わ〜という声が聞こえてきた。元気な声というよりも、普段聞きなれない周波数の音と言った方が正解かもしれない。階段の下から上を見上げると、小さいカラフルな靴、靴、靴のオンパレードだ。
1時間遅らせればすいていると思ったら、そうでもない。子供たちが私を見つけて「うわ〜、うわ〜」と飛び出してくる勢いだ。まずい所に来てしまった。私が帰ろうかと躊躇していたら、本堂の中から和尚さん姿のタツちゃんが、私に上がりなさいと手招きした。
忙しそうだからまた来ますというと、大丈夫だから上がれ上がれと手招きする。ちょっと靴下に大きい穴が右と左にあるのだがなあ。誰もいないと思ったので、そのままきちゃったんだ。
先生か父兄か分からないが、5人ぐらい若い女の人がいた。本堂の中にすり足で上がり、向かって右側にすわった。正面に幼稚園の生徒が座っているが、皆激しく動き回っている。何人いるのか数えようとしたが、じっとしている園児はひとりもいない。

本堂の3畳ぐらいの畳の上をごろごろ転がる子。まるでアメーバのようにたえず形が変形している。この子は将来スポーツ選手かな。初めて会った私の体に、色々タッチしてくる女の子。将来は化粧品の営業かな。悟りを開いたような表情の男の子が、甘茶をお釈迦様にかけていた。こんなおとなしい子もいたんだ。将来は理科系かな。
結局、子どもの人数を数えるのはあきらめた。男の子と女の子が手を繋いでお釈迦様の前に来て、一人一人お釈迦様に甘茶をかける。その前で2人で写真を撮ってもらい、タツちゃんの奥さんに小さい茶碗で甘茶を一人一人もらう。先生が最後に号令をかけたら皆静かになって、本堂を後にして行った。その後の空気感がなんともいい。

幼稚園の生徒のあの声や勢いも、私にはなぜか渓流の流れや波音に聞こえて、きもちのいい感覚だった。私たちは毎日ですよと先生に怒られそうだ。
タツちゃんの奥さんに甘茶を注いでもらい、ゆっくり飲む。それからお釈迦様に甘茶をかけさせてもらった。奥さんがこれ子供用ですと言って、祝・はなまつりというキャンデーの入った袋をくださった。
縦横3メートルぐらいの掛軸が垂れ下がっていたので、タツちゃんにこれは何と聞くと、ルンビニーの花園だと、名前を教えてもらった。お釈迦様のお母さんがこの人で、ハスの葉のそばに立っているのがお釈迦様で、だいぶ離れたところにいらっしゃる、これがお父さんです。

いつしか、私が幼稚園児になっていたようだ。
奥さんが小さいボトルへ甘茶をいれてわたしてくれた。タツちゃんと奥さんにお礼を言って本堂を出たら、元気にはしゃいでいる子どもたちが色々のことをして遊んでいた。あの勢いは今も昔も子どもたちの特権だ。甘露、甘露。
あの新聞紙の屋根が、菜の花や椿で花園のように飾りつけてあった。

はなまつりのお菓子の説明から:今から2500年ほど前、お釈迦さまが、ルンビニーの花園でお生まれになった時、空から、甘くかぐわしい甘露の雨が降り注ぎ、お釈迦さまの身体を洗い清めました。お釈迦さまは、すぐに七歩あゆまれて、天と地を指さし「天上天下唯我独尊」と言われたと伝えられております。それで、古来「はなまつり」では、お釈迦さまに甘茶をかけてお祝いし、甘茶をいただいて帰ります。
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小板橋伸俊(アンクルサム/群馬県安中市松井田町)
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