2013年06月28日

幼稚園以来の甘茶かけ

昨日崇徳寺さんに伺った。その時出てくれたのがタツちゃんだ。ほんとは住職とか和尚さんと言わないといけないのだろうが、うちの二番目の姉と同級生だから、つい姉がタツちゃんタツちゃんと言うもので、私も気がつかない間にタツちゃんタツちゃんと気安く呼んで、今まで来てしまった。



境内に、家のように柱が4本、屋根に新聞紙がしきつめてあるやぐらのようなものがあった。タツちゃんあれなんですか? 明日はお釈迦様が生れた日です。お釈迦様があの建物の中に入り、皆さんが甘茶をお釈迦様にかける日なんですよ。よかったら小板橋さんも、お寺へ甘茶をもらいに来ませんか。

私にはとても懐かしくなった。たしかそんなことがあったけかな? もしかすると幼稚園以来かもしれない。明日の午前10時ごろからやっているそうだ。崇徳寺さんの帰り、長い石垣の参道を通った。桜の華吹雪が近くの家の屋根よりも高く舞い上がり、桜の満開もいいが散り際もいいもんだなと、感傷にひたる間もなく家に着いていた。



次の日、和菓子のたわらやさんとその友達がm上州漁協の年券を買いに来てくれた。これから2人で釣りに出かけると話していた。たわらやさんがTMC531の#14#16を1箱づつとリーダーを買って行ってくれた。ここらあたりの川では、20何番なんていうフックは、意外と使うひまがない。すぐ#14あたりが常連のフックになってしまうものだ。

そろそろ午前11時を回るころだ。崇徳寺さんにはお店から歩いて2分30秒で着いてしまう。本堂に近づいていくと、子供のわ〜、わ〜という声が聞こえてきた。元気な声というよりも、普段聞きなれない周波数の音と言った方が正解かもしれない。階段の下から上を見上げると、小さいカラフルな靴、靴、靴のオンパレードだ。

1時間遅らせればすいていると思ったら、そうでもない。子供たちが私を見つけて「うわ〜、うわ〜」と飛び出してくる勢いだ。まずい所に来てしまった。私が帰ろうかと躊躇していたら、本堂の中から和尚さん姿のタツちゃんが、私に上がりなさいと手招きした。

忙しそうだからまた来ますというと、大丈夫だから上がれ上がれと手招きする。ちょっと靴下に大きい穴が右と左にあるのだがなあ。誰もいないと思ったので、そのままきちゃったんだ。

先生か父兄か分からないが、5人ぐらい若い女の人がいた。本堂の中にすり足で上がり、向かって右側にすわった。正面に幼稚園の生徒が座っているが、皆激しく動き回っている。何人いるのか数えようとしたが、じっとしている園児はひとりもいない。



本堂の3畳ぐらいの畳の上をごろごろ転がる子。まるでアメーバのようにたえず形が変形している。この子は将来スポーツ選手かな。初めて会った私の体に、色々タッチしてくる女の子。将来は化粧品の営業かな。悟りを開いたような表情の男の子が、甘茶をお釈迦様にかけていた。こんなおとなしい子もいたんだ。将来は理科系かな。

結局、子どもの人数を数えるのはあきらめた。男の子と女の子が手を繋いでお釈迦様の前に来て、一人一人お釈迦様に甘茶をかける。その前で2人で写真を撮ってもらい、タツちゃんの奥さんに小さい茶碗で甘茶を一人一人もらう。先生が最後に号令をかけたら皆静かになって、本堂を後にして行った。その後の空気感がなんともいい。



幼稚園の生徒のあの声や勢いも、私にはなぜか渓流の流れや波音に聞こえて、きもちのいい感覚だった。私たちは毎日ですよと先生に怒られそうだ。

タツちゃんの奥さんに甘茶を注いでもらい、ゆっくり飲む。それからお釈迦様に甘茶をかけさせてもらった。奥さんがこれ子供用ですと言って、祝・はなまつりというキャンデーの入った袋をくださった。

縦横3メートルぐらいの掛軸が垂れ下がっていたので、タツちゃんにこれは何と聞くと、ルンビニーの花園だと、名前を教えてもらった。お釈迦様のお母さんがこの人で、ハスの葉のそばに立っているのがお釈迦様で、だいぶ離れたところにいらっしゃる、これがお父さんです。



いつしか、私が幼稚園児になっていたようだ。

奥さんが小さいボトルへ甘茶をいれてわたしてくれた。タツちゃんと奥さんにお礼を言って本堂を出たら、元気にはしゃいでいる子どもたちが色々のことをして遊んでいた。あの勢いは今も昔も子どもたちの特権だ。甘露、甘露。

あの新聞紙の屋根が、菜の花や椿で花園のように飾りつけてあった。




はなまつりのお菓子の説明から:今から2500年ほど前、お釈迦さまが、ルンビニーの花園でお生まれになった時、空から、甘くかぐわしい甘露の雨が降り注ぎ、お釈迦さまの身体を洗い清めました。お釈迦さまは、すぐに七歩あゆまれて、天と地を指さし「天上天下唯我独尊」と言われたと伝えられております。それで、古来「はなまつり」では、お釈迦さまに甘茶をかけてお祝いし、甘茶をいただいて帰ります。

・・・

小板橋伸俊(アンクルサム/群馬県安中市松井田町)

※「マルタの雑誌」は季刊『フライの雑誌』読者が対象のweb投稿企画です。
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2010年01月21日

「親心4」

1月9日午後、放流仲間の一人、自称「見守り隊」の車が谷の入り口にとめてあった。二、三時間もすれば稚魚の成育具合などを知らせるメールが入るだろう。

やがて、

「水位が落ちてボックスが心配でしたが、異常はありませんでした。稚魚達のエッグサクもほとんどなくなったようですが、水温が4℃なので、冬眠状態?です。またしばらくして、確認に来ます。では」

厳寒の谷川にいる彼に感謝し、了解、了解。

 前にも書いたが、発眼卵放流に使った孵化器はバイバートボックスではない。100円ショップで売られている普通の虫かごである。これに孵化した魚が留まるよう内部に少々細工をして川底に沈めた。ある程度成長した段階で外に魚を出さなければならないなどから、仲間が定期的に観察しているのである。

報告によると、魚の数に変化もなく、順調に育っているという。春よ、来い。



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2009年12月13日

「親心3」

仲間から再び携帯メール。「水温9度。水位下がっているが問題なし。ボックスから外に出ている稚魚がいないかと周辺を観察するが確認できず。内部に留まっている稚魚のほうは大分腹が小さくなり、来週あたりには浮上して泳ぎだしそう」。送られてきた稚魚の画像を見ると、小さくてシラスを連想させるが、他の部位と比べて異様に頭部が大きく、アンバランスな体型である。



発眼卵放流というと、経過観察などは行わずに、河床にセットした孵化器を大概は春先までそのままの状態にしておくのが通例だという。発眼卵放流を何度も実施している人たちから見れば失笑ものだろうが、しかし、私たちは気になって気になってしかたがないのだからしようがない。

ところで、我が自宅前に加治丘陵と呼ばれる山が東西に伸びている。東端は埼玉県入間市、西端は東京都青梅市で、標高の一番高いところでも200メートルほどの小高い丘の連なりである。幼い時分は、この丘陵にもぐりこみ、クヌギの林でカブトムシを採ったり、ターザンごっこをしたりして随分と遊んだものだ。丘陵にはまた、サワガニやアブラハヤがいる小さな小さな沢が幾筋かある。

つい最近、そのとある沢でヤマメの姿を見た。流れを遮断するかのように築かれた砂防堰堤下の渕で、黒い影となって走るのを捉えた。それ以上に、堆積した落ち葉の上でじっと定位しているのをはっきりとこの目で見た。近眼と老眼が入り混じり、白眼の白濁化に拍車がかかるが、自慢ではないが釣り師としての目は誰にも負けない。

その日を境に気になってしようがない。というか、自制心を上回りそうなもう一つの何かがひたすら湧き上がってきて、私は穏やかではないのだ。



小島満也(埼玉県飯能市)
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2009年11月29日

「親心2」

放流からちょうど2週間目、「ヤマメが孵化した」と仲間から画像添付の携帯メールが届いた。画像を見ると、稚魚は孵化器の隅の方にさいのうを付けた状態で身を寄せ合っている。白濁した死卵はないというから、100%の孵化率だ。様子を確認して、孵化器はまた河床のもとの場所に戻された。

 うまくいったと安堵したが、いくつかの孵化器は課題が残ったとの報告もあってちょっと落ち込んだ。今回の放流では100円ショップで買った虫かごを孵化器に流用した。孵化器を使ったのは孵化後、しばらくの間、内部で保護するためである。しかし、孵化した稚魚がかごの隙間をすり抜けて外に出てしまったという。他の孵化器については隙間を網で細工したので、内部に留まっている。送信されてきた画像はこれであった。

外部に出た稚魚は、腹部に栄養物の詰まった「さいのう」と呼ばれる袋をつけている。さいのうは稚魚の成長にあわせ吸収され小さくなる。孵化器から抜け出てしまった稚魚は、さいのうを付けたままのヨタヨタ状態、無防備だ。どうか、外敵に気づかれず落ち葉の下に隠れていてほしいと願う。間違ってもウグイなんかに食われるんじゃないぞ。某日、季節の移ろいとあいまったのだろうか、ヒゲ面の50男が妙に感傷的になって、我ながらおかしかった。



小島満也(埼玉県飯能市)
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2009年11月24日

「親心」

 無聊をかこっていた釣り師が集まって、この秋、埼玉県飯能市を流れる入間川の支流にヤマメの発眼卵を放流した。普段、魚を殺して食べることが釣り師の本分であると主張する面々だが、どういう風の吹き回しか懺悔の気持ちが湧いたらしい。で、地元漁協に話をつけた。

 5000粒の発眼卵は発泡スチロールに入れられてやってきた。全体の量はどんぶりに3分の1くらい。卵は薄いピンク色で、直径5ミリほど。一粒ひとつぶがプリプリしていて、はじけそうな感じ。まるでゴム毬のような弾力だ。「どんな味だろ」。誰かが軽口をたたいた。改心なぞしていないらしい。その球体の中に黒色の可愛らしい目があった。発眼卵だから当たり前か。

 孵化器には100円ショップで購入したプラスチック製の虫かごを使った。およそ500粒ずつの卵を虫かごに入れ、河床に埋設、周囲を石で囲う。そんな作業を落葉が舞う谷川の何箇所かで、半日ほど行った。

 卵の孵化時期は積算温度で決まる。発眼卵購入先の養魚場に、これまでの積算温度を尋ねたが分からないという。いつ孵化するかの目安として知りたかったが、時期がくれば卵は自然に孵り、孵化器から下界へと出ていくはずである。大きな問題ではない。

作業から数日後、雨が降り続いた。増水した谷川で孵化器は流されていないか、気にかかる。考えることは同じである。見覚えのある仲間の車が谷川の辺にとめてあった。親心に再び目覚めたらしい。



小島満也(埼玉県飯能市)
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