すだれ越しの朝顔、沸き上がる入道雲、くるりと裏返った軒の夏帽子、鎮守の森の蝉しぐれ。少年の頃の夏の思い出は、どこのシーンをとっても強烈で鮮明だ。まるで、昨日のことのように蘇る。
◇
あの頃、地区の悪がきどもの夏の最大級の遊びは魚捕りだった。ぼくが住む地区には二つの川、I川とN川が南北に隣り合って流れていて、そのうち南側のN川からは灌漑用の、地元で「田堀」と呼ぶ小さな堀が300メートルほど下流の田んぼまで続いていた。そうしたものの位置関係は今ともちろん寸分たがわないが、川の水はもっと透き通っていて、もっともっと冷たかった。だから、いつまでも調子に乗って川で泳いでいたりすると、体がどんどん冷えてきて体温が下がって唇がドドメ色になった。
ドドメとは桑の実のことで、ぼくの地方では養蚕が盛んだったから、畑という畑のあちこちに桑の木が植えてあった。ドドメは5、6月になると紫色に熟れて食用になる。今はジャム作りなどに珍重されているようだが、当時は珍しくもなんともなく、そこらへんの木の実の一つに過ぎなかった。ぼくらにとっては好物で、紫色の実を見つけるたびに口に放り込んだ。
大人たちが田植えに備えてN川の水門を開けて田堀に導水すると、ウグイやフナ、ドジョウなどが大量に迷い込んだ。ぼくらはそれを狙った。たまに物好きな親父たちが田堀に繰り出したが、雑魚なんかもちろん眼中になくもっぱらシジミを掘っていた。
田堀の脇の草つきの畦道には毒々しい体色をしたヤマカガシも潜んでいて、幾度となくびっくりさせらせれた。ヘビとの出合いはいつも衝撃的にやってくる。大抵は人の気配を感じてヘビの方から逃げるが、うっかりふんずけたりすると、裸足でもあったから「ひゃあ」と奇声を発して、1年生も6年生も年齢に関係なく飛び上がった。田舎の子どもだってヘビは恐いのである。ヘビイチゴが生えている場所にはヘビがとぐろを巻いているから注意するんだと上級生から真顔で教えられていたこともあり、草むらの陰に真紅の実が見えたりすると、そのたびに小さな胸がどきりとした。
昼下がりは、板の間の縁側に敷いた寝ござで午睡だ。昭和30、40年代前半の頃のぼくが住む地区では、まだまだ藁葺き屋根の民家が数多く残っていた。農家だったぼくの家もそうだった。藁葺き住宅は、ブームらしい今の田舎住まいの象徴みたいにもてはやされているが、当時住み心地が良いと感じたことはなかった。普通に雨が漏ったし、雨戸をガタガタ揺らす台風の夜などは不安でたまらなかった。
土間の柱と梁は、祖父が番をする囲炉裏の煤で黒光りしていた。農業を兼業化したサラリーマンの家の赤いトタン屋根はハイカラな感じがして羨ましかったものだ。
夏のとある夕暮れ。今夜はナマズを捕りにゆくぞと父親に声をかけられた。養蚕や畑仕事で忙しかった父親とは、ぼくが末っ子ということもあって遊んだことがなかったので、父の突然の誘いにぼくは嬉々とした。母親も行くという。たぶん、両親は40代だったと思う。卓袱台に用意してあった夕飯をかき込んだ。
連れていかれたその場所は、ぼくら集落の子どもが魚捕りに興じるいつもの田堀ではなくて、その北側の隣接地区の田圃の中のひと跨ぎ程度の小さな用水路だった。ぼくらの田堀とは直線で300メートルも離れていない。用水路は田堀に水を引いているN川に、水門の下流側で流れ込んでいた。
そんな目と鼻の先に、ぼくらが巡り会う機会などほとんどないナマズが棲息していることを、にわかには信じられなかった。ナマズはぼくらにとって大物である。ぼくは疑念を感じつつも夜陰に乗じての捕獲作戦に興奮した。
星が瞬いて、聞こえるのはざわざわと間断なく流れる水音とカエルの鳴き声だけ。田んぼが続く先にポツン、ポツンと民家の灯りが見えた。なんだかいけないことをしているような気がして、一段と高揚したのを覚えている。
「これを持って、こう水の中で押さえているんだぞ。父ちゃんがここにくるまで絶対に笊を上げちゃあダメだぞ」。父親に手渡されたのは竹で編んだ直径40センチほどの笊だった。普段、祖母が畑で収穫したトマトやキュウリを入れている笊だ。
ぼくは腰をかがめ、それを流れをせき止めるように水に沈めた。水面が顔に近付いた。ぐっと水圧がかかった。押さえる両手に力を込めた。顔を上げると5、6メートルほど上流に父と母がいた。土手に放り投げておいた懐中電燈の光が、上流の2人をぼうっと照らし出していた。
当時、ぼくらの田堀や周辺の用水路は護岸など一切されておらず、開削されたままの状態だった。法面には雑草が繁茂し、そこから水面に垂れた植物や水草の陰は魚の絶好の隠れ場になり、たまに赤腹のイモリが姿を現した。
上流の両親は縦列になって両岸の縁を地団駄を踏むように、リズミカルな動作でぼくの方に下ってくる。やがて父の体がぼくに密着するぐらいの近さになった時、父の合図があり、ぼくは水の中の笊を持ち上げた。ずしりとした重量感。笊の底でうごめき、絡まり合う複数の黒色の物体。ナマズだった。父の話しは本当だったのだ。ぼくの心は充足感で満たされた。
その夜、ぼくと両親は月明かりの下、用水路の中を何度も何度も行き来し、そのたびにぼくは感嘆の声を挙げた。こうして捕獲された数十匹に及ぶナマズは翌日、祖母の手によってすべて調理された。家の周囲に香ばしいにおいが漂い続けたが、ただ、残念なことにぼくは、その時のナマズの味を思い出せないでいる。思い出すのは、夜のはじめ頃の両親とぼくのあの用水路での行いだけなのだ。
◇
記憶は断片的ではあるが、振り返ってみると、ナマズ捕りという行為自体は単調なものだけれど、強烈な印象として今も残り、苦労もなしに想起できる。それはやはり夏という灼熱の季節が大いに関与しているといっていいのかも知れない。
青臭い水田のにおい、穂を揺らす生ぬるい南風、峰の白雲。魚釣りだってそうだ。春先のヤマメ釣りよりも、炎天の河原でのおおらかなイワナ釣りにぼくは心惹かれる。
しかし、フライフィッシングを始めてからこのかた、脳裏に焼き付く夏が一向に目の前に現れないのはなぜか。腕か。2009年の夏も、何事もなかったように逝く。
小島 満也(埼玉県飯能市)
posted by furainozasshi at 10:45|
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