2019年01月20日

(中山道の釣旅 新作執筆中です)白戸さんの新しいバンブーロッド

間が空いてしまってすみません。
「中山道の釣旅」の新作執筆中です。

大人気・白戸さんの新しいバンブーロッドが届きました。
くわしくは次の「フライの雑誌」でご案内します。
写真は大きくなります。

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小板橋伸俊(アンクルサム/群馬県安中市松井田町)

※「マルタの雑誌」は季刊『フライの雑誌』読者が対象のweb投稿企画です。

ご投稿はinfo@furainozasshi.comまで
posted by furainozasshi at 17:14| 中山道の釣り旅

2018年06月16日

3球の物語

黄色いソフトボール

お店の入り口の鈴がカランコロン、カランコロンと急き立てるように鳴った。慌ててバックヤードから(コタツなんですけどね)立ち上がる。あれ、女の人の声だ、こんにちはいつもお世話になっています。

あ〜、なんだ。なんだなんていうと怒られちゃうけど保険の集金ね。女性のご来客は少ないのでなかなか声を覚えられなくてごめんなさいね。やだ〜ん、小板橋さんは。少ないのなら覚えてよ。わりぃわりぃ、すぐお金持ってくるから待っててね。

金魚の絵のティッシュペーパーを1組、いつものようにサービスしてくれた。小板橋さんに見せたい物があるんです。彼女がゆっくり開いた両手の中に、小さめのソフトボールがあった。

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3年前、JAPAN CAP国際女子ソフトボール大会へ行った。試合の1回の表と裏にそれぞれの国の選手が自分のサインをしたソフトボールを観客席に投げ込んでくれるというサービスがある。1回の表、オーストラリアの選手が黄色のソフトボールを観客席へ投げ込み始めた。

みんなが投げられたボールを追いかけて右往左往しているなか、一人の小学生だけがオーストラリア選手に対して背中を向け、落ちているボールを自分のバックに取るというよりは拾うだけで、ほかの大人や子供が1個拾う間に2個目をゲットしている。3個目も拾った。

ほとんどの人がサイン入りのソフトボールを取ることができなかった。大の大人が苦笑いのような表情を浮かべて、さ〜さ、試合だ、試合と自分の席に急いだ。そんななか、一番最後にあの小学生が左手に1球、右手に2球を持って、どんなサインかなと覗き込むように、また誇らしげに私の前を大きいバックを右肩に吊るして通りすぎていった。

と、保険の集金のお姉さんにそんな話をしたことがあった。

そうしたら、お姉さんの中学生の子どもがソフトボール部で、次の年のJAPAN CAP国際女子ソフトボール大会へ一緒に行ったんだそうだ。3個拾った小学生の話をして聞かせたら真似をして、見事オーストラリア選手の投げた黄色いソフトボールをゲットできたそうだ。

だから、小板橋さんにどうしてもお礼を言いたくて、オーストラリアの選手のサイン入りソフトボールも観てもらおうと、持ってきたんです。それはどうもどうも、私もものすごく嬉しいです。

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じゃあ悪いんだけど、そのソフトボールをデジカメで撮らせてくれる? こんなことはめったにないからね。と私がマットの上のソフトボールをカチャカッヤと撮っているといつしか集金のお姉さんも、娘さんの母親の表情になっていた。

娘さんが拾った黄色いソフトボールは、普段は茶ダンスの上にいつでもだれでも見られるように、鎮座ましましているそうだ。

2球目のボールのお話

二番目の姉から電話があり、いいものを見に来ないか、と言う。そんなにいいものってもったいぶらないで、何だか教えてくれよ。じつは姉の夫が、横浜スタジアムのDNA対阪神戦で、筒香選手がレフトスタンドに投げ込んだボールをゲットしたというのだ。

横浜スタジアムでは、以前の観戦時にこんな話がある。試合が終わる少し前、もう帰ろうと姉夫婦で通路の階段を降りる途中、ライトの選手がスタンドに投げ込んだボールが通路に飛び込んで、そのボールが何と姉の左足のかかとにあたった。痛くはなかったそうだが、ボールが階段をポンポン弾んでコロコロ、コ〜ロコロ。

その時、姉の上の方からものすごい勢いで青い人影が出たと思ったら、ひょいとそのボールをつかんで、疾風のように去って行ってしまった。

私が想像するに、姉はフライフィッシングはしないが、姉は碓氷川で尺ヤマメをもう少しで釣りあげるところが、スルリと両手から逃げていってしまった気持ちではなかったか。

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兄貴の家にはちょっとした棚があり、そこに硬球が1球置いてあった。もしかしてこれかなとちょっと興奮した。さっそく触らせてもらった。筒香選手の手が触ったであろう感触も微妙に感じながら、手のひらの中でボールをこねこねした。子供がお父さんからおとぎ話でも聞くような世界に入り込んでいた。

その日、8回の裏に練習用のボールを筒香選手がレフトスタンドに投げ込んでくれたんだそうだ。ボールが何回かどこかへぶつかって、なんと幸運にも兄貴のナップザックの上に飛び込んで、跳ねることなく、身動きしなかった。

その日は球場の間違いでレフト側の席に移されたし、阪神タイガースに大差で負けているしと、なんとなくモヤモヤしていたら、試合の最後の方でこんな嬉しいことが待っているとは信じられないと話していた。近くにいた女性にそのボールを写真に撮っていいですかといわれて、どうぞと撮らせたんだよと、嬉しそうに話してくれた。

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私の手の中の硬球には、日付とBxTの文字がブルーの色で書いてあった。

3球目の話

お店から歩いて5分もしないところに、地元の高校がある。私はその高校の野球部のグランドの前を通る時、一つの心配ごとがある。野球部の選手の人数である。今年は9人いるかな?

あれ、7人しかいない。グラウンドを見晴らせる近くの金比羅山へ登って、マッチ棒の先のような野球選手の人数を数えたこともある。全部で12人いた。やれやれ。

特にドキドキするのが秋である。グラウンドで練習をしている人数が4人とか5人の時がある。3年生が抜けると2年と1年生だけの練習になる。おいおい、来年は4人以上野球選手を確保できるのかい。とても気になる。最近は野球部員が足りなくて、3校が合同で1チームを作ったりする。しかし合同練習はほとんどできない。

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グラウンドと道路を挟んだ同級生のM子ちゃんちの土手に、白いボールが突きささっている。見ると「群馬県高校野球連盟使用球」と文字が書いてある。

試合のときの、ホームランボールだろうな。人数も少ないので、ホームランボールをここまで拾いに来なかったのだろうな。高校野球のホームランボールは貰えるのか分からないが、プロ野球はもらえる。自宅のタンスの上に置いてある。

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さて、去年のセ・パ交流戦で、横浜対日本ハム戦が横浜スタジアムで行われた。ピッチャーの大谷は観られなかったが9回表のバッターの大谷を観ることが出来た。その日一番の盛り上がりだった。横浜なのにスタジアム全体が拍手喝采だった。

結局空振り三振だったが、大谷選手は遠くからでも、後光がピカピカ光って見えた。

大谷選手が今年メジャーリーグで記録を次から次と塗り替えて、日本中が大騒ぎになっている。マンガをはるかに超えている。でも、いつか人間だから、今の逆になることもあるだろう。

その時に、私は少なくとも手のひらを返すようなことはしないぞ。

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posted by furainozasshi at 23:24| 中山道の釣り旅

2017年12月13日

白戸さんのバンブーロッドと妙義山の虹

うちのお客さんで植木屋さんをしているH君がいる。H君は高校生時代からうちに来てくれるようになって十数年たつ。その頃からきちんと挨拶ができる。きちんと挨拶ができる高校生や若い人は少ない。

お店の中で子供の声がするので、バックヤードから行って見ると何人かの子供が小声でしゃべっている。「いらっしゃいませ」と声をかけても無反応。で私が近づこうとするとぞろぞろ私から離れようとする。

俺のヒゲ面が怖いオーラでも出しているのかな? 私は私なりに優しく声をかけたつもりなんだけどな? 一人ぐらいコックリでも良いからしてくれるとおじさんは嬉しいんだけどな。

もちろん小学生でも、きちんと挨拶をして、出て行く時は「ありがとうございました」と挨拶をしてくれる子供も少数だがいます。なぜだかきちんと挨拶をする子は、昔から職人さんか商売人の子供がほとんどだ。

大人でも、お店に入って出て行くまで、何もしゃべらない人がいる。私のお店に欲しい商品が無かったのだろうか? 大変申し訳ないことをしてしまったのかな?と思う自分がいる。しかしそれとは違う、重い空気感が漂う。

社会人なのだから帰る時ぐらい「ありがとうございました」と言ってくれると、また次来てくれるかな、なんて思う自分がいる。

H君は子どもの時から今まで変わらず挨拶をしてくれるし、今では5人の子持だそうだ。いやいや大したもんだ。

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私のお店は始めてから今年で31年たつ。庭に生えていたなり物の木もたまげるほどに大きくなっている。4年くらい前、H君に全部木を切ってもらうと幾らですかと見積をしてもらったことがあった。そうするとH君はまだ私は若くてかけだしだから、普通の職人さんよりも安い金額で出来ますよといっていた。それから時がたち、今年の5月に裏庭の木を全部根元から切ってもらうことにした。

小板橋さん、あれから大分木は大きくなっていますかね。とH君が不安そうな声に私には聞こえた。フライで若い時からH君はお世話になっているから精一杯勉強をしようと思っている気持ちが私には手に取る様に感じられた。

H君の親父はエサ釣だが年券を毎年買っていただいている。親父さんは私とほとんど年は変わらないし、H君にはこちらの方こそ高校生の時からずうーっとお付き合いして頂いている。なにかお返しが出来ればと思っていたので、私もお金がある訳ではないが普通にして頂ければと見積もりをしてもらった。

素人の私が見ても、一人ではとうてい無理ではないかと思うぐらいの大きな木が3本はある。二日間でしてもらうことになった。

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約束の日の約束の時間ピッタリ。H君の「オハヨウございます」という声が聞こえた。親父さんにきちんとしつけられているな。2トン車のいすゞエルフのクレーン付きのディゼール車でやってきた。申し訳ないが私に何も手伝うことはなく、仕事はみるみるうちにはかどった。

10時と3時に出したお茶菓子はひとつも手を付けず、冷えたペットボトルの麦茶を飲み干すと、また仕事に戻り、手際よく木を切り、枝をまとめて2トン車まで持って行く。

枝が土にすれる音が小気味いい。昭和天皇の記念に植えたとかいう柿の木や桜の木や杉の木がある。オレンジ色の小さいつぶつぶがあって花の時期には物凄い臭いが立ち込める木もある。

シュロの木やビワの木や、名前が分からないが枝が何本も出てどんどん高くなる木、葉っぱが落ちると物凄い木、18年たたないと実がならないユズの木、「フライの雑誌」の編集長とお子さんが何年も前にお店に来た時に、お子さんがミカン狩りをしたことがないというのでミカンをもいでもらった。あのミカンの木も、天狗さんが団扇に使う葉っぱの木も全部根元から切ってもらった。

どうしても一軒、半日行く用事ができてしまったので、と結局1日半で全部の仕事をしてくれた。小板橋さんは、繊細な人かと思っていたら結構大胆ですね。とH君に言われてしまった。ただのぼ〜としている人間さ。

何十年ぶりに気が付いたことが、目の前に高く広がっていた。うちの裏庭ってこんなに広く高く大空が見えるんだ。一人スッキリした気分にいたることができた。

亡くなった母親から、職人さんに仕事をしてもらったら代金はちょつきり払う物ではないよ、といわれて育ってきた。無理も色々してもらったのでほんとに気持ちだからと、子供にジュースでも飲ませてととって貰った。

数日後、H君がやってきて「この間はどうも」と私が気持ちで渡した金額分をフライの買い物をして行ってくれた。私はとてもいいお客さんに恵まれているな。H君はまだまだ若いが、職人魂を教えられたような気がした。ちなみにウエットのフライを美しく巻けるんですよ、H君は。

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隣りの家の屋根の近くに、キイロスズメバチの巣ができた。安中支所に電話をしたら、次ぎの日に上司と若い女性が観に来て、あ〜あれね、さっそく業者に連絡を取ってみますといってくれた。

一つ大きな問題がある。その昔、松井田城下町は税金の関係で表が何間かで税金を払うことになっていたようで、ほとんど家と家がくっついている代わりに、奥に長い。旧中山道沿いは、どこの家もほとんどがウナギの寝床状態だ。ハシゴが通るかどうかが分からない。

上司さんが帰り際に、お店のバンブーロッドが並んで置いてあるのを見て「へ〜、これはスゴイね」と言った。私が「100本からあるんですよ」と言うと、「今の商売は何か他に無い玉を持っていないと大変ですよね」と言った。その言葉に私はドキと本質を突かれた。

業者が来てくれて、やはりハシゴがお店の中を通らないということだ。11月頃になればキイロスヅメバチは巣からいなくなりますから、それまで近づかないようにしてもらうしかないですね、と言われた。高いところに巣があるのが幸いと思い、私はあきらめた。

それから毎日、巣から飛びたつハチを眺める日々が続いた。

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ハチもいなくなったころ、白戸さんから電話があった。

「小板橋さん、長く待たせて申し訳なかったですね。今回はメダケ#3/4の4ピース・6‘11“・竹フェルールと、メダケ#3〜5の4ピース・8’4”・竹フェルールと、トンキンケーンのルアーのバンブーロッド2本も含めて、全部で6本持って行く予定です。」

ありがとうございます。ところで大事なお値段はおいくらですか?

「もうきめてありますが小板橋さんに見てもらってからと思っています。」

やあ〜、今回はドキドキもんですね。心臓に良くないですけど楽しみは後に取っておきましょう。と電話を切った。

数日後、「フライの雑誌」の編集長から電話が入り、こんどのフライの雑誌の113号の広告の件なんですけど。あれもうそんな時季だっけ? 今回は何か考えていますか? ん〜、ゼンゼン。

編集長に呆れた声で「小板橋さん〜」と言われちゃって、私の脳味噌はフル回転で渦を巻きあげていると、あ〜、そうだ。近いうちに白戸さんがバンブーロッド6本をお店に持ってきてくれる約束なんですよ。

編集長がカンパツ入れず、「小板橋さん。私は白戸さんとこれまで会ったことがないので、ぜひ会ってみたいです。バンブーロッドを納める時に会わせてくれるように話しをしてくれませんかね?」

え〜、白戸さんは実は私以上にはにかみ屋さんなので、多分断られると思うんですよね。それに写真なんか写されるのは絶対駄目だといわれちゃうと思うんですけどね。

やっぱり編集長は押しが強い。「今回は私が、例のちゃぶ台の上で広告のバンブーロッドの写真を撮りましょう。」

え〜。ふんじゃ(それでは)、もし白戸さんが編集長と会ってくれるというのであれば、1ページ丸ごと白戸バンブーロッドで広告を出したいと思います。思いきったことをいっちゃったな、ン〜難しいな。

すると編集長が「小板橋さん、もう時間がありませんからね」と言って、お互いに受話器を置いた。

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その日の夕方、白戸さんに電話をかけた。

最初はゆったり、「実は何日までにもしバンブーロッドを持って来てもらえれば、今度の「フライの雑誌」の113号に載せられるんですけど。」と言った。

編集長が白戸さんの籐巻のバンブーロッドで楽しくハヨ釣りをさせてもらい、お気に入りだと言っています、こんな楽しいバンブーロッドを作ってくれる白戸さんに会ってみたいと言っているのでどうでしょう。

白戸さんは、バンブーロッドを製作している時が大変だけど充実している時間で、人に会ったり、ましてや写真なんか絶対撮られたくない人なんですよと、編集長には念を押して言っているんですけどね。無理はしないで下さいね。でもきちんとしたバンブーロッドでないとこまりますよ。

すると白戸さんが、「小板橋さん、一つだけ聞きたいんですけど、他の人のバンブーロッドは宣伝しなくていいんですか。」といきなりつっこみを入れて来た。

今回はたまたま白戸バンブーロッドと縁があって、広告に白戸さんのバンブーロッドが載ることになっただけですよ、そんなに深く考えないで下さい。妙義山より大きい猪は出ませんからと笑わせた。

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その日の私は、朝一番でちゃぶ台を裏庭にセットした。となりの屋根からはキイロスズメバチが間違いなく全部いなくなっていることは何日も前から確認済みだが、もしかして何かあるといけないと無意識のうちに見上げた。

白戸さんを迎えるため、いつもの時間に駅に車を走らせると、白戸さんが和菓子のたわらやさんの横の道から、バンブーロッドを持って現れた。どうしたんですかずいぶん早くないですか。今日は高崎まで新幹線で来ました。つい白戸さんに、新幹線なんか使わないで下さいよ。バンブーロッドが安いんだから儲けがなくなちゃうじゃないですかと声をはりあげた。

そうすると白戸さんはニコリと笑って、それよりも早くお店に行ってバンブーロッドの検品を済ませて、編集長を待ちましよう。と言って車に乗り込んだ。私は、心の中であ〜あ〜。いったい何時に家を出てきたのだろうか。全開で白戸さんに気を使わせちゃった。

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今回はあるお客さんから渓流用で3ピースか4ピースのバンブーロッドを作ってみて下さいといわれたので、それにチャレンジしてくれた。今までもダブルハンドの3ピースやルアーロッドや、メダケのタナゴ竿6ピースなどプロのロッドビルダーもあまリ作らないものまで色々チヤレンジしてきた。その実績がしっかり生かされている。

今回もメダケは細いのでフェルールを真竹で作るといった工夫をされている。また次には面白いことを考えてくれているらしい。今回は真竹の林の写真を持って来てみせてくれた。最近は短い竿で節ありで真竹のロッドがよく出るので、材料の真竹がなくなってしまうのでは無いかと心配しているように思ったのかな。これで真竹の心配は当分しなくてもよさそうだ。

今回はアユとニジマスの燻製ももらった。薫製づくりにもものすごく几帳面さが見える。これならお酒も美味しくのめるのだろうな。

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そんなことより編集長が来ちゃう。早く検品を済ませないと。もうちょっとというところで「コンニチハ」と編集長がニッコリ笑顔で登場した。私がなんて紹介しよう、と思う前に2人で挨拶は終ってしまった。おい、おいという感じ。

じゃ検品も終ったので撮影しましょう。私と白戸さんがバンブーロットを両手で持ちながら裏庭に行った。私が上をみて、「キイロスズメバチの巣、分かりますか」と言うと、「どれどれ。なあ〜だ。そんなに大きくないですね」と2人声をそろえて言うので、私のテンションはぐ〜と落ち込んだ。私としてはあんなにそれなりに色々と手続きをしたのに。まあいいや。

撮影のためにバンブーロッドをどうセットしましょう。

すると編集長が「小板橋さん、この卓袱台思ったより小さいですね」ともう仕事モード全開で集中している。瞳が印象的だ。バンブーロッドのセットも脳味噌の中ではもうでき上がっているようだ。全部まっすぐ並べるのかと思うと、右側のロッドのバットだけ微妙に曲げて置いて、スネークガイドも唯一互い違いになっている。商売とはいえサスガダナ。この微妙な神経を使うセンスで飯を食えているのだろうな。と、ど素人の目には映った。

一眼レフを両手に握った。私が一番驚いたのが両足を、お相撲で四股をふむ時のようにふんばっていた。まるで編集長の両足がカメラをセットする三脚に見えた。無言の迫力で、色々の角度からバチバチとシャッターを切り始めた。しばらくして一息入れた時に、白戸さんが「ずいぶん枚数を撮るんですね」というと編集長がすかさず「小板橋さんは何百枚と撮りますよ」と言った。

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二人のこんなシャッターチャンスはまたとないと思ったが、白戸さんが写真を撮られるのが嫌いだというので、心を鬼にして我慢した。すると今度は一転、私が持っているようなデジカメを取り出し、竹フェルールを近距離でカメラを覗きこむでもなくシャッターを切っている。

白戸さんがそんな近くから撮って大丈夫なんですかと聞くと、何とかという装置が付いているから大丈夫なんですよ、と編集長が答えた。どうもそういうのは私は苦手だ。

雨男の私が「今にも曇りからあやしい天気になっていますね」と言うと、編集長が「私は晴れ男ですから」と言い、「このくらいが外で写真を撮るのにはちょうど良いんですよ」と答えてくれた。

お昼の時間になっていたので、そばでもいかがですか。皆でセットした物を片づけた。

編集長の車に乗せてもらい、一路近くのすかや(そばや)に向かった。途中神社を通ると、編集長が「小板橋さんが好きそうな所ですね」と言った。道のカーブから、いい感じの妙義山がちょこっと見える。

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初めて会っても色々と釣りの話で話がはずみます。私はざるそば、白戸さんは温かい狸そば、編集長もそばを食べながら、いつの間にか私は2人の話の聞き役になっていた。

帰る時に編集長が白戸さんに「松井田駅まで乗せていきましょうか」と気を使っていたようだ。まだちょっと用があるのでと、2人で編集長を見送った。編集長はこれから上野村に向かうんです、と言っていた。

私が白戸さんに編集長どうだったと聞くと、編集者らしい顔をしていてとても優しかったのでよかったです、と話してくれた。

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次の日、さっそく1ページ分の広告の案が送られてきた。

私は編集長に電話を入れて、「昨日はとおいところをご苦労様でした。〈あなた好みのバンブーロッド〉って、どこかで聞いたことがあるフレーズでいいですね」と言った。編集長は竹フェルールが写っている小さい写真がお気に入りだと言っていた。白戸さんのバンブーロッドの広告は1ページを使って3人が協力して作った。

追伸: なんとつぎの日に、妙義山にこんなに濃い虹がかかりました。編集長と白戸さんの初対面に私がいい架け橋になれたかな?

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小板橋伸俊(アンクルサム/群馬県安中市松井田町)

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