もう何ヵ月か前になるが、新聞で地元高崎の城南球場で「ジャパンカップ国際女子ソフトボール大会in高崎」が開催されるという小さい記事が私の目に留まった。2020年東京オリンピックにまだソフトボールが正式種目に決まっていなかった。エースの上野(ビックカメラ高崎)はその頃は好い年になっているだろうなと思いながら、私は漠然と自分の手帳に印をしていた。
上野投手の現役はもうあまり見られないかもしれないし、今回はなにより上野投手の本拠地である。これを見ずにはいられない。当日、もう朝9時には城南球場の駐車場にいた。壁に貼ってあるポスターを見ておどろいた。当日券は2500円だそうだ。ドキドキしながらポーチの中の財布の中身を確認すると、5000円札と1000円札が2枚、やれやれ大丈夫だった。
オーストラリア・チームがグラウンドで練習を始めた。オイオイ、でっけ〜。八頭身だ。恥ずかしいが私の田舎ではめったに外国人の人を見ることがない。しいて挙げれば軽井沢の教会の牧師をしているアンクルサムさんかな。次にファースト側でアメリカ・チームが練習を始めた。オーストラリアの選手より背が低く、男性並みのキビキビしたプレイだ。
アメリカの攻撃で幕は上がった。アメリカ選手たちは円陣を組んで「ウ〜〜〜」とオタケビのような、大きい声を発した。すると私の後ろの女性が「サイレンのような声を上げるのね」と言った。
私の右側の席に、赤いTシャツの大会関係者らしき年輩者が4人ばかり座っていた。1人の女性が通りがかり、その4人組みは、「どうしてもここに座れ、あなたのために席を取っておいたんだから」といいだした。女性は「じゃ座ります」といって私の隣に席を取った。どうも只者ではないようだ。色々な関係者が通るたびに、その女性は挨拶をしたり、されたりしている。私は恥ずかしいのでチラとしか見られない。
試合の方はアメリカが2回に2点を入れて、オーストラリアが4回にホームランをレフトに放り込んだ。私の脳味噌はあまりにもソフトボールのことを知らないので、暴発寸前だ。隣の女性にいきなり質問をしていた。「スイマセン、あのセンターのところのオレンジ色の電光掲示板で数字が20ぐらいからだんだん減って、また繰り返しになっているのはドウシテですか」。
髭を生やした年寄りに、女性は「時間を短縮するため、20秒以内にピッチャーはバッターに球を投げないといけないんですよ。20秒をすぎるとボールとカウントされるんです。バッターは10秒以内にバッターボックスに入らないといけないことにルールではなっているんですよ」。
へ〜。私は矢継早に質問をした。
「さっきアメリカのバッターがデッドボールで退場しました。たしかに時速100km以上のスピードで当たれば痛いでしょうけど、ソフトボールって柔らかいのではないですか」。
すると女性は言った。「あれは硬球です。」
「高校ぐらいから、大学と社会人は硬球です。国際試合は全部硬球です」。
私は62年間知らなかった。女性は、この髭親父はそんなことも知らないでソフトボールを観に来ているのか、なんて顔をしないで説明をしてくれる。いつしか私の脳味噌は「女神様」と名付けていた。
女神様が「群馬はビックカメラ高崎チームの世界1のピッチャー(上野選手のこと)が怪我をしているうちに、1人いい子が出て来ているんですよ。それに上野の後継者でやはり地元の太陽誘電に藤田という投手がいるんですけど、ピッチャーも凄いが打つ方でも凄いんです。二刀流ですね」と教えてくれた。
トヨタ自動車、日立、ホンダ、ビックカメラ高崎と、世界的に知名度がある会社ではない。太陽誘電なんて知らない会社なんていわないで、2020年東京オリンピックソフトボールのエースで胴上げ投手になるかもしれません。二刀流の藤田倭選手を覚えておいて下さい。
ビックカメラ高崎の宇津木レイカ監督が、なんと私の前で女神様と立ち話している。私の席の隣の隣に座っていた30代の女性がレイカ監督に「スイマセン色紙にサインして下さいとおいおい色紙とマジックを渡した。「いいですよ」とサインをしてもらっている。試合の方は結局3対1でアメリカが勝った。最後に選手が全員グランドに出て握手をして試合終了だ。
私の脳味噌は「ところであなたは何者ですか」と女神様に聞きたくてたまらないのだが、小心者なので最後まで聴きだせなかった。どうもオリンピックで金を取ったときの選手の1人かもしれない。あるいは、ソフトボールジャーナルの編集をしているか記事を書いている人かもしれない。今回は東京から来て3日間高崎に泊まって試合を観戦すると言っていた。午後8時近く、今日はありがとうございますとお礼を女神様に言って、高崎城南球場を後にした。
翌日、どうせ決勝戦はアメリカ対オーストラリア戦と思っていたら、新聞に、なんと「日本対アメリカ戦」の活字が踊っている。今日の決勝戦は午後6時からだそうだ。お客様すいません、自営業ですから。午後にはまた2500円を払って城南球場に座っていた。
決勝が始まる前に、タイペイ対オーストラリア戦があった。この日は私の隣の席は女神ではなく、スタイルのいいおねいさんだった。チラと横目で見たら、私の手首の太さより細い左足の踝のちょっと上に、どう見ても龍が上に向かっているタトゥーが可愛らしく見えた。タイペイの応援に来たらしい。イヤラシイがさらにちょこっと視ると、左手のくるぶしに小さい文字盤サイズの時計ぐらいの薔薇の花の絵に、トゲがからみついているタトゥーだ。わお〜。でも全然イヤラシクない。
オーストラリアが4対1でタイペイを破って、オーストラリアが3位タイペイが4位に確定した。
いよいよ、アメリカ対日本の試合が始まった。1回の表、二刀流の藤田がピッチャーで登板した。時速105kmと球速が表示された。日本にこんな投手がいたんだ。日本は初回、長崎(トヨタ自動車)、山本(ビックカメラ高崎)の連続適時2塁打などで4点先制。アメリカの先発投手が乱調で、勢いに乗った打線は2回と3回にも加点し、投げては先発の藤田倭(太陽誘電)が2安打1失点の好投で試合をつくった。
5回表、北京五輪の金メダル獲得に貢献したエース上野が、怪我で遠ざかっていた国際試合のマウンドへ1年ぶりに登場した。「ピッチャーユキコ・ウエノ。ナンバー17」のアナウンスが流れると、どの選手よりも大きな拍手と歓声が球場を包んだ。
北京五輪の熱闘413球から、もう8年もたっている。年齢的に無理があるのではないかと思ったら、アメリカの投手だって時速105kmぐらいなのに、上野選手のスピードは肩慣らしの球で110km〜114kmだ。上女神様が、上野よりも経験値が高い投手は他に誰もいないといいきっていたのを思い出した。
結局、日本は米国をなんと9対1の5回コールド勝ち。2005年以来6大会ぶりに世界の頂点に立った。11年ぶり2回目の優勝だ。
球場のあちこちで、ヒーローインタビューや記念写真をとっている。優勝の熱気が冷めやらず内野席も物凄い状態でだれも帰らない。城南球場の内野席が満杯なんて見たことがない。これはすぐには出られないと思い、最後の方まで残っていたら、赤いスタッフのTシャツを着た女子高校生たちが大きいビニール袋を持って、スタンドのごみを拾い始めていた。「皆さんは高校生ですか」と私が聞くと「健大高崎です」と答えた。「ご苦労さま、おじさんは健大高崎の高校野球のファンなんだよ」と言うと、なんともよい笑顔を私にふるまってくれた。
日本のソフトボールは、世界でトップ争いをしている。ビックカメラ高崎の上野、浜村、我妻、山本、二刀流の藤田、佐藤、2ランホームランの河野と、日本チームの屋台骨を群馬県選手がになっている。それなのに群馬にはソフトボール専門の球場がないのは残念だ。群馬県や高崎市はひと肌脱いでくれないかな。
球場の外に出ると、アメリカチームのバスが選手専用の入り口に停まったまま、なかなか出られない事態になっている。なにごとかと暗いなか目を凝らすと、小学生、中学生、高校生の女子が黒山のように待ち構えていた。アメリカの選手が一人バスに乗り込むたびに、黄色い声っていうんですか。ワ〜ァワ〜ァキャ〜ァキャ〜ァと球場の壁と道路の壁で何倍もの反響効果でものすごい。若いっていいね。アメリカの選手は試合に負けたし疲れているだろうに、バスの窓をあけて日本語で「どうもありがとう、ありがとう」と、ファンにちゃんと挨拶してくれていた。
・・・・・
小板橋伸俊(アンクルサム/群馬県安中市松井田町)
※「マルタの雑誌」は季刊『フライの雑誌』読者が対象のweb投稿企画です。
ご投稿はinfo@furainozasshi.comまで