2015年11月27日

ロケットまつり

私の住む隣近所はとても珍しいと思うことがある。ちょっとやそっとじゃないと思う。皆さんド田舎だとお思いでしょうが、碓氷川が流れ、妙義山が美しい、自然がイッパイ、後は何にも無いじゃないかとお思いでしょうが、頭脳が集積している。ちょっと言っちゃっていいかな。

私の下の家は今は病院をしていないが、他県で2人お医者さんで3軒目もお医者さんで、私の知っている限り3人お医者さんで。私の上の家の3軒目もお医者さんで、道路を挟んでその前の家も1人お医者さんで、そこの兄貴か弟が、やつが医者になれるのなら俺もなれると言っていたと、近所の小母さんが言っていた。だいぶ前の話でその後どうになったか聞いてない。

その下の2軒目も1人医者で、そのまた下の2軒目は女医さんだ。私の知っているお医者さんは現役だけでも9人、この狭い中でその中で親父さんのお医者さん2人も含めると、11人だ。2軒だけ親がお医者さんだったが、他の人たちは普通の商売人の子供たちだ。

その他の間の家の人たちも、教員だったり公務員だったり農協の労働組合の委員長だったり、大工さんでもただの大工さんではなくて一級建築士だったりする。職業で人間の価値を決めつけることは良くないが、このお医者さん率はすごいでしょう。

100メートルあるかないかの距離の中で、ではお前は何なんだといわれると、どこにでもある田舎のフライショップです。皆さん安心しましたか?

実はどうしてこんなことを書いたかというと、道路を挟んで上にある、お医者さんをしている家から3軒目の息子が、ロケットまつりの会社に勤めている。たまに家に寄らせてもらったとき、ちょっと高い棚になにげなくロケットの打ち上げの写真が私の目に入った。旦那に「あの〜、ロケット好きなんですか」と聞いてみたら、「うちの倅がそういうところに勤めているんですよ」という。

「エ〜、ロケットってほらこの間7年がかりで地球に戻ってきたやつ、はやぶさですか?」 「そうそう、それ」「え〜ぇ〜。俺大好きなんですよ」

・・・・・

旦那が「明日ロケットまつりがあるよ」とわざわざ私に教えてくれた。さっそく出かけた。ふだんは入れない会社に入れた。半端じゃない広さだ。入り口から北側を見ると、何と会社のマークのついた消防車と救急車が格納庫に見えた。さすがロケット関係の会社は違う。

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展示されているものはどれもびっくり仰天。お母さんと手を繋いだ子供が、アニメやテレビゲームと違う本物に釘づけ状態だ。小惑星探査機ハヤブサ2は2014年12月にH−IIAロケット26号機により打ち上げられた。今度こそ私の拳ぐらいの惑星の石を採取して地球に日本に無事帰還して下さいね。今日のロケット祭りを見に来たたくさんの子供たちの思いを裏切らないで成功を願っています。

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車があるが、何だかタイヤがバンブーで編んであるように見えるのは私だけだろうか? バンブーロッドをはじめ、やはりバンブーの潜在能力は測りしれない。

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一度建物の外に出た。敷地が物凄く広いのに、ごみ一つ落ちていない。ヤッパリ宇宙を相手にする会社は凄いな。それに30店舗ぐらいお店が出ているが、全店舗社員でやっていると聞いた。これまたお店がビシーと綺麗に並んでいる。看板に「富岡名店街」と銘打っている。仕事は宇宙を相手にしているのに地元を大切にしている。その心意気に俺なんか勝手にぐぐっときちゃうんだよな。

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宇宙ステーションの室内で、七輪に備長炭でアメリカ人やロシア人に串刺しで焼いた鮎の塩焼きを、アチアチと食べてもらう実験でもしているかのような人。真剣な表情の中になんとも微笑みをうかべているようでもある。

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自社の大型バスが4台もあり富岡から高崎駅まで無料で送迎している。私の脳味噌では考えられない。

南極の石って何だ? どうしてこんなところに、南極の石が2つも展示してあるのだろうか。すぐ近くに碓氷川が流れているので、碓氷川に行って同じぐらいの大きさの似たような石を2個並べても、へ〜ぇ南極から持って来た石なんだと感心してしまうかもしれない。本当はS−210ロケット打ち上げのため、南極越冬隊員として当社従業員が参加し、記念品として持ち帰った石ですと書いてある。ヤッパリ碓氷川の石とは微妙に違う。

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またまたビックリ。今まさに宇宙ステーションで地球を回っている乗組員の星出さんのサイン。超レア物だ。ついこの間も「こうのとり」をしっかりキャッチしてくれて有難う。

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「世界最大の地下無重力実験施設」だそうだ。外国にあるのですかと聞くと、日本です。え〜、ほんとですか。北海道空知郡に有ります。地下無重力実験センターといって、約10秒間無重力状態にすることが出来ます。という。

つい私は「こんな大がかりな実験施設で、たったの10秒間!」と声が出そうだったが、そこはぐっとこらえた。私は今まで、10秒間という時間を真剣に使ったことがあるだろうか。
この実験施設ではたったの10秒間で、考えられないほど色々なデータを得ることができるのだろうな。

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地下無重力実験施設
●無重力の世界では、重力による落下はもちろん熱による流体の対流なども無くなり、地上とはまったく異なった現象が現れます。 ●北海道の廃坑を利用して建設した、深さ710mの無重力落下施設は同様の施設の中で世界最長10秒間の無重力状態を作り出します。 ●これにより、地上でも手軽に無重力実験が行えるようになりました。 ●無重力実験は新素材の開発や流体力学の研究、生命科学の追及など、さまざまな科学分野の進展に大きく寄与するものと期待されています。

糸川英夫教授が昭和30年4月に日本で最初のロケットであるペンシルロケットの発射に成功した。これがそのペンシルロケット。

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日本初の人工衛星「おおすみ」。当時の新聞に「国産衛星地球を回る。ラムダ4S型5度目で成功、自力で世界4番目、おおすみと名付ける」とある。私が子供の時は、アジアで一番先に国産のロケットで有人で宇宙に行くのは日本だと疑っていなかった。宇宙競争も一寸先は闇なのだな。

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でも予算が付かなくても、日本人の頭脳と技術をもって、違う切り口で宇宙競争の先陣を切ってくれるだろう。その証拠に、今日は宇宙好き・ロケット好きの子供たちが、たくさん全国からロケット祭りに集まってきている。とにかく子供がこんなにいるのかとビックリさせられた。

ちなみに、群馬県は「かかあ天下」と言われていますが、館林の向井千秋さんは、日本初の女性宇宙飛行士です。

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小板橋伸俊(アンクルサム/群馬県安中市松井田町)

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2015年09月12日

6世紀の簗瀬二子塚古墳(やなせふたごづか)と楫取素彦(かとりもとひこ)さん、白戸さんのダブルハンド・ロッド

今、私の脳みその中では、安中市の二子塚古墳と、NHKの大河ドラマに出てくる楫取素彦とが、深いふか〜い、長いなが〜いタイムンネルで繋がっている。いや、繋がったのだ。それを解き明かしたのは私の脳みそだ。

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今年の夏、いつものように広報あんなかを読んでいると、「簗瀬二子塚古墳7月19日(日)オープニング見学会」の記事を見つけた。すぐそばを碓氷川が流れている簗瀬二子塚古墳は、6世紀の史蹟だ。今年の7月に公園として整備されたので、その案内会の記事だった。以下、二子塚古墳のパンフレットから。

◆概要 簗瀬二子塚古墳は、安中市域に初めて登場した大型前方後円墳で、古墳時代後期初頭(6世紀初頭)に築造されたと考えられています。この地域一帯を支配した有力者の墓と推測されます。また古墳の埋蔵部分は横穴式の石室が作られています。この横穴石室は、上野地域さらには東国において、石室が竪穴式から横穴式へと移る最初の頃のものと考えられ、学術的にとても重要な古墳です。

◆規模 2段築造の前方後円墳で全長約80メートル、後円部径約50メートル・高さ約8メートル、前方部幅約60メートル・高さ7メートル、上野地域の古墳時代後期初頭(6世紀初頭)最大級の古墳です。外周溝が全周したと考えると、古墳全体の規模は全長約130メートル全幅は約110メートルと推測されます。

◆古墳の整備 本墳は墳丘の残りがとても良かったため、古墳の保護を目的とした整備を行いました。墳丘の形状を変えることなく、古墳全体に盛り土を行う方法を用いています。

◆石室 全長11.54メートル羨道長はかみち。墓の入り口から地下の棺を安置した所へ通ずる道。7.47メートル(幅0.67メートル〜0.95メートル)、玄室長4.07メートル(幅2.16メートル〜2.32メートル)高さ2,20メートル。天井石には秋間石(溶結凝灰岩)が使用され、近くの碓氷川の川原石を使用している壁石には赤色顔料(ベンガラ)が塗彩されています。

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じつは21年前、私は「松井田町の遺跡を見る会」で、簗瀬二子塚古墳を見に行ったことがある。私のアヤシイ記憶だと、竹藪に覆われていた。こんなに高い所に古墳の入り口があったとは思えなかった。ここからは21年前の記憶です。

… 役場の担当者の女性が言った。「土地の持ち主に古墳の中へ入って見ることを了解していますから、順番に入って見て下さいね。」
中が真っ暗で懐中電灯で照らさないとまったく分からない。懐中電灯はありますか、と最初に入ろうとした人が言ったら、「あら大変、懐中電灯を持ってくるのを忘れてしまった」と担当者の焦った声が古墳の中にヤマビコのように入り口に跳ね返って来た。参加した皆のため息が、今度は竹藪に広がって消えていった。古墳に入るのだから、自分の弁当を忘れるよりも懐中電灯を忘れるなんて、と、かわいそうに参加者にいじられていた。小さい懐中電灯を持ってきていた人が何人かいて、皆でそれを借りて一件落着。

石には朱色が塗ってあるのが分かる。その石がなんだか湿気を帯びていた。虫の名前が思い出せないが、家の中にたまにピョンピョン足が長く、お腹がアーモンドの形のイメージの虫が出るが、あれと同じ虫が、懐中電灯の光で何匹か眩しそうにして、石の隙間に逃げ込んでいた。たしかひょうきんな名前だったような気がするが思い出せない。古墳の中は結構広く、奥の行き止まりの天井の石が、ずいぶん広く大きかったような記憶がある。とりあえずコウモリが飛び出してこなくてよかった。 …

この頃の少し前から、私は中山道沿いの地元、松井田近隣の文化や歴史に興味を持ってのめり込みはじめていた。そんなとき、原市の小母さんから「ノブちゃんは昔の事を調べるのが好きなんだって?」と言われた。私の母方の曾曾爺さんが、五十貝莎堂という雅号で書や絵を書いていた。だから原市の小母さんにも「莎堂さんの絵か書が出てきたら教えてください」とお願いしていた。すると小母さんが「莎堂さんの書を持っている人がいるから、話を通してあげるよ」と教えてくれたのだ。それが最初に簗瀬二子塚古墳を見に行った年と同じ、21年前のことだった。

原市の小母さんが紹介してくれたKおばさんはなんと、簗瀬二子塚古墳のある土地の地主だった。普通の人には絶対見せないものなんだけど、と言って、古墳から出て来た副葬品を見せてくれた。玉類(金箔ガラスの三連子玉、勾玉、水晶製丸玉など)、装身具(金銅製耳環など)、石製模造品(鎌・刀子・斧・白玉など)、武器類(鉄鏃・直刀・鉄小札)、馬具(杏葉・辻・金具など)、須恵器などが、縦50センチ横20センチの長方形の薄い箱の赤い布の中に並べられていた。12箱もあった。焼き物は50センチ真四角の2箱にきれいに並べられていた。その写真がこれです。

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今から見ると何とへたな写真だろう。フィルムの時代だったのでデジカメのようにバチバチ何枚もシャッターを切れなかった。でも、今から考えれば、何と贅沢な時間だったのだろう。6世紀初頭の人たちが使っていた現物が、目の前にあった。ふだんは博物館でガラスケースに囲まれているものだ。あの時のわたし古墳からの出土物にはあまり興味を持たなかった。21年たった今になって、地団駄を踏んでいる。

その時Kおばさんが見せてくれた莎堂さんの書の写真はこちら。楷書で「上毛碓氷郡坂本…」ぐらいまでは、当時の私にも読めた。その時のことは空白状態で思い出すことができない。字がずいぶん優しいので、人物も優しい人だったのではないか、と思ったことは覚えている。ご先祖さんの書に巡り会えた幸運な日であった。その日は他の、とんでもない人の漢詩や書も直接見せてくれたようだが、豚に真珠状態だったので残念、残念悔やまれる。

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今年7月、改装なった簗瀬二子塚古墳の見学会へ出かけた。若そうな担当者が説明してくれた。「皆さん。小さい濠があり、橋もあります。この橋を渡れば、この世では無く紀元前6世紀の世界です。」と、若者は仮面ライダーのベルトのような拡声器で説明し始めた。
「もしかすると国指定の遺跡になるかもしれません。6世紀当時のまま埴輪などもそのまま埋めてあります。土が60センチぐらい被せてありますから、道どうりに歩かなくても、どこを歩いてもかまいませんよ」。参加者から、「えええ〜」と歓声のような声が上がった。



参加者は100人以上はいただろうか? 遺跡の頂上に登ると、360度見渡す限り、山々山。南西側に私のDNA、妙義山とその横に浅間山、北側に榛名山、北東に赤城山が見える。南へ100メートルも行けば碓氷川だ。6世紀に暮らしていたひとたちは、碓氷川のことを、何川と読んでいたのかな? 6世紀にはアユはいたのだろうか? いたとしても友釣りはなかったろうに。手でつかむか、石と石をぶつけて、アユを浮き上がらせていたのかな? そもそもアユなんて魚の名前があったのかなあ?


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古墳の頂上から見える景色は、現代人も6世紀人も同じだ。妙義山、浅間山、榛名山、赤城山が全部見える。雄大な景色をさえぎる建物が見当たらない。今年東京スカイツリーを見に行ったが、なんだか登った気分がしなかった。それに比べて簗瀬二子塚古墳は、たった高さ8メートルしかないが、私の脳みそをこんなにドキドキワクワクさせてくれるのは、いったいどうしてなんだろうか。

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いまやっているNHK大河ドラマ「花燃ゆ」に出ている楫取素彦(かとりもとひこ)さんが、簗瀬二子塚古墳にちなんだ漢詩を詠んでいる。楫取素彦さんは、吉田松陰(1830〜59)の妹、文さんと結婚した長州藩幕末の志士だ。

観簗瀬村出土器
楫取畊堂(こうどう)雅号(ペンネーム)
王 孫 芳 草 碧 無 透  (王孫芳草 碧透き無し)
遺 壙 荒 涼 経 幾 年  (遺壙荒涼として幾年を経たる)
磁 偶 瓦 瓶 残 欠 在  (磁偶瓦瓶 残欠在り)
撫 摩 弔 古 意 愴 然  (撫摩して弔古す 意愴然たり)

(語釈) 
王孫―天子・諸侯の子孫
芳草―かおりのよい草花
荒涼―あれはててものさみしい
愴然―悲しみいたむさま

莎堂の展示会で大変お世話になった「安中学習の森 ふるさと学習館 」の学芸員さんに聞いてみると、当たり前のように、この詩の存在を知っていた。簗瀬二子塚古墳の当時の地主さんは、古墳からの美しい出土品を持って近隣の名士たちを訪ね回り、詩歌を求めたらしい。そして書いてもらった詩歌を集めて、【尚古帳】というものを編集したのだという。その中に楫取素彦の漢詩や、莎堂さんの書や、当時の内閣大書記官をしていた金井之恭の書などがあったのだ、と学芸員さんは教えてくれた。

21年前にわたしが見た漢詩や歌や書や絵は、まさにそれらの貴重なものだったのだろう。知識が無かったのがとても悔しい。



楫取素彦さんは簗瀬二子塚古墳から車で5、6分の距離にある磯部温泉に別荘を持っていたのだという。さっそくわたしは磯部温泉街を探し回った。楫取素彦と聞いても、だれも知らない。やっと夕方、場所が分かった。それは何回も通っている道路沿いの旅館の敷地だった。大きい松の下に白い杭があり、そこに「初代群馬縣令楫取素彦別邸跡」と書いてある。奥に旭館という旅館がある。訪ねてみると若奥さんが「そうですよ」と話してくれた。「私は嫁に来たのでよく分かりませんが、昨日も楫取さんの本を出したいと、訪ねて来た人がいましたよ。」と話してくれた。わたしはそれだけで十分だった。

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簗瀬二子塚古墳の地主さんは、わたしが21年前に見たあのケースに美しい古墳からの出土品を入れてこの別邸へやってきて、楫取さんに見てもらったのかもしれない。そして同じ出土品を、どこかで莎堂も見たのだろう。

吉田松陰(1830〜59)の妹、文さんと結婚した長州藩幕末の志士、楫取素彦さん。私の曾曾爺さんの莎堂と楫取さんとが、遠く離れた群馬県の簗瀬二子塚古墳で繋がった。最初に、深いふか〜い、長いなが〜いタイムンネルで繋がった、と書いたのはそういうことなのです。そしていま私の頭のなかには、簗瀬二子塚古墳の6世紀人が、碓氷川の夜の川辺に立って、左手にヤリを持ち右手に竿を持ち、猫のような目付きで魚獲りを用心深く楽しんでいる姿が、浮かんでいます。

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追伸1: 『フライの雑誌』からオイカワ釣りの記事のアンケートが来た。地元の80歳ぐらいのお爺さんに聞くと、「子どもの頃はオイカワなんて魚は碓氷川にはいなかった。」と教えてくれた。「わかんねいけど、アユを琵琶湖から碓氷川に放流した時に混ざったのじゃねいか?」とも話してくれた。わたしは昔からオイカワは碓氷川に生息していたと思っていた。この辺りでは、オイカワのことを、ガラッパヤとかハヤとか呼ぶ。オスを「おばさん」とも呼ぶ。

追伸2: うちのお店で何本もバンブーロッドを買ってくれているお客さんが、「小板橋さん写真を見て下さい」と写真を持ってきてくれた。「尺にはちょっと足りないかもしれません」。おー、でっけい。丸々としている。どこでこんな大きいヤマメを釣ったわけかい。「碓氷川です。虫もたくさんハッチしていました」。ほんとに。ドライかい。「ええ」。う〜、いいよいいよ、こんなヤマメを地元の碓氷川でフライで釣ったんだ、いいねえ。「小板橋さん、来年の上州漁協の年券をもう買いますからね」。今からそんなことを言ってくれると上州漁協の役員が喜んじゃうよ。

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追伸3: お店で一番人気の白戸ロッドの白戸さんと、今年の夏のはじめに、二人で簗瀬二子塚古墳へ行きました。その時に白戸さんに撮ってもらった写真も載せておきます。

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その白戸さんは3年以上悪戦苦闘した末に、ついに今回、ダブルハンド・ロッド・デビューの運びとなりました。

トンキンケーン(ダブルハンド)ロッド#7 10‘6“
3ピース   37,000円(税込)
トンキンケーン(ダブルハンド)ロッド#7 9‘6“
3ピース   39,000円(税込)チタンガイド

トンキンケーン(節あり) #3 6‘8“(竹)フェルール
29,500円(税込)
トンキンケーン      #4 7‘6“
ワン&ハーフ (ノ―ドレス、ブラスフェルール)
29,500円(税込)

トンキンケーンルアーロッド  5‘10“ XUL
0.5〜3g   36,000円(税込)


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小板橋伸俊(アンクルサム/群馬県安中市松井田町)


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2015年07月04日

第41回 安政遠足(とおあし)侍マラソン(安中市)

松井田小学校前の歩道橋から長野県側を金網越しに見ると、旧中山道が一直線に街並みを貫いている。
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その上に少し右側に雪が残る浅間山が、ここからは上州じゃないぞ、信州だぞという面構えだ。何だか今日の侍マラソンのランナーの胆を見てやろうと、立ちはだかっているように見える。家の近くに来ると、三度傘に日本刀姿のBさんが立っていた。これから侍マラソンですか? そうだよ、これが一番軽くて私には楽なんですよ。銀色のベンツが停まり、Bさんは荷物をベンツのトランクに入れて、私にニコッと微笑んだ。ベンツは行ってしまった。恥ずかしいがこの年になるまでベンツの車に乗ったことがない。ベンツの横に乗ってくださいなんて言ってくれる友達は、何時になったら出来るのかな?

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第41回目の安政遠足(とおあし)侍マラソン。安中市の旧安中藩武家長屋をスタート地点に1705人が参加した。その内、仮装ランナーは、総参加者の8割を超える1404人。ことしは募集開始から歴代最短の2日で定員となるなど、注目の高まりを示した。晴天に恵まれたこの日、選手たちは、峠コース28.97キロと関所・坂本宿コース20.15キロの2コースで、それぞれのゴールを目指してスタートした。写真で紹介します。

これからビールの美味い季節になるといっても、これほどビール好きなランナーを見たことがない、まず頭上にダイ大ジョッキで白いアワ、あわ、泡だ。右手に中ジョッキに小物まで乗せて、左手には長い刀に大きい鍔風の抵抗を受けるだろうに。
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去年の流行語大賞で「ダメヨ、ダメダメ」のランナーが多かった。九分九厘、男性ランナーの様な感じがする。まず髪の毛が全員カツラだ。化粧が雑で男性にも塗りやすい。一番分かってしまうのがシューズが男ものである。しかし服の色とピエロ風の顔と団体で駆けて来ると迫力がある。今年になって人気がビールのアワのように消えないように、頑張って。
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私は若い世代に乗り遅れている自分を痛感した。物凄く上手に出来ている。猫のようだが左手のピンク色のニクキュウが可愛らしいし日本人の芸の細かさが出ている。今の子供たちには物凄く人気があるのだろうな? 恥ずかしいが後日、本屋に行った時に、ちょうどそのマスコットが一番目立つ所にディスプレイしてあったので、30代ぐらいの女性店員さんに、これ何て言う名前ですか、と聞いた。女性店員さんが私の顔を見てこの年の人には分からないだろうなと言う目付きで、二匹教えてくれた。「ジマニャンとコマニャン」。私は何だか呪文を聞いているようで2、3回聞きなおした。でも女性店員は年寄りはこんなモンダロウという感じで、気持ちよくまた教えてくれた。「ジマニャンとコマニャン」。今でもその名前でいいのか分かりません、間違っていたらごめんなさい。

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今一番旬な男。日本女性を寝不足にさせる。
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今年の弁慶は速い。なぎなたの先がダイエットされているようだ。バカ殿も忍者もねづよい人気だ。
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元気ですか〜の男も駆けていく。
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あれ、今日は白戸さんと矢竹とメダケを取りに行く約束なんかしていないのに。ヤダな白戸さんときたら、ひょっとこのお面をかぶって、一足先に矢竹を一本かついじやって。と思った時は私の口が白戸さん〜と怒鳴っていた。
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雪の女王のピンク色もゴリラのピンク色には太刀打ちできない。
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雪の女王夏バテか?
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自動販売機の電源も水になっちゃった。
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劇の回数が凄いやつらしい。
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雪の女王のフレッシュ版。
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北陸新幹線前田藩上州通過。
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女の人が大がかりな物を背負ってよく分からなかった。何と上州名物焼まんじゅうだ。とても美味しそうに焼あがり、いい感じでたれが香ばしさをあらわしている。女の人の帽子から紐で顎まで縛り涙ぐましい努力の後がみてとれる。白戸ロッドの白戸さんと食べた焼まんじゅうの写真を見て下さい。こんな感じでした。
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バットマンのお相手の女性たちのようだ。黒ずくめで美人のように見えるがマスクの下のホントウの正体が。道路の陰に角らしきものが黒く見えるのは私だけでしょうか?
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サザエさんのチャームポイントは何といってもヘアーでしょう。どうして手提げ駕籠に車つきの猫なのか?
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タスキに「ほその」と読める。ここから一山越えた増田川沿いにある土地だ。そんな所にこんな仮装をするお姉ちゃんがいるかと思うとへェーてな感じ。もしかして横の白い髭のお爺さんも増田川生れかな?
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鎧と兜の侍の方が、北陸新幹線よりも速い。侍は「鍛えているからだー!」。
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うちのチャンネル付きのテレビは何年か前にリサイクルに出した訳だが、やっぱり家がいいのか、足が生えて戻って来ちゃった。おまけに仮面ライダー付きで。
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今年の干支の羊がメェ〜と可愛く鳴いて、へそ出しルックで駆けていく。
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鶏だけに飛べないから走って来たのかな?
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三度傘と日本刀のBさんがこちらに左手を上げてくれた。
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サンリオの女の子の猫ちゃんは馬に乗るのがうまいな。
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フライマンにも凝り性が多いがこの鉄道マニアの人には脱帽だろう。見える所だけで6つの車両に煉瓦の橋梁まで、おまけに後ろも電車がついているようだ。
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大阪のくいだおれ君が中山道を3人で駆けて来た。まさかバンブーロットを見せて下さい、何て言わないだろうな?
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前を行くドレスの金髪の女の子がおれは好みだなと、左腕を上げて指さす髭のランナー。
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時代劇のテレビ番組も少なくなったがマダマダ好きな人はいるんだな。
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ジマニャンかな? 手作り感があっていいな。
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こんな元気なこいのぼりを見たことがない。私の子供の時、裏庭に父が長い竹を切って来て真鯉と緋鯉と吹き流しを上げてくれた。大変大きい真鯉と緋鯉だったことと、紙で出来ていたことを覚えている。サンタさんへ若い奥さんがプレゼントちょうだいと声が掛かり、サンタさんがシーズンオフなんで、とばかりにこたえていた。
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何年か前の原宿のお姉ちゃんが上州路を闊歩しているよ。
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今年の侍マラソンのラストランナーだ。
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今年も子供の野球チームが皆で応援にきてくれた。
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小さく歩道橋が見える。
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松井田宿の全景です。小さくアンクルサムも載っています。
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小板橋伸俊(アンクルサム/群馬県安中市松井田町)


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