2015年05月26日

あれから3年

古い美術品を集めるのが好きだ。そのひとつが掛け軸だ。掛け軸に書いてある「漢詩」は全部漢字で、おまけに行書だなんて英語も分からないがそんなものじゃなく、全然読めない。漢字の意味なんてもちろん分からない。人間分からないと、何とかして分かりたいという気持ちが脳味噌のなかに日に日に増えて来る。そうだ、近所に90歳をこえる元先生がいる。と思ったら、もうその家にお邪魔していた。

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上がりなさいと言われて、先生はもう、山本有所の漢詩の掛軸を畳の上に広げていた。90歳の元先生も私も何十年もご無沙汰しているから、う〜ん、難しいね、そうだうちの倅の方が分かるかもしれない。おいおいおまえの方が分かるだろうと、現役の先生をしている倅さんを呼んだ。何より先に行書が読めないと、お話にならない。やはり、う〜ん、と読めないですね。

でもいきなり行ったのに、現役の先生が言うには、「漢詩は七言絶句といって漢字を二字、二字、三字として読んで、最後の字が韻を踏むように出来ていて、二十八文字で出来ているのが漢詩なんですよ、韻はさいごにリズムを取るように漢詩はできているんです。」と説明してくれた。私の脳味噌は七言絶句とか韻を踏むとか、まるで太平洋の真中で犬かき泳ぎをしているようで、岸は見えない、足は底に着くわけがない状態だ。

そうしたら90歳の元先生が「少し分かるかな、年齢のことが書いてあるようです。」と言った。「百の半分は五十でまた二年過ぎたといっているので、作者の山本有所さんの年齢が五十二歳だと書いてあるようですよ」と教えてくれた。上の字を読んだり下の字を読んだり、たいへんだ。それでも私の脳味噌は大変嬉しかった。広い太平洋で溺れていたら、縦1メートル横20センチの木の丸太を見つけて、しがみついたような感覚を持つことが出来た。

漢詩に興味がない人には大変申し訳ないですが、私の脳味噌がこの木の丸太にしがみついて、どこまで泳ぎ着くことができるか、興味を持てた人は、お付き合い下さい。

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私は漢詩を読めるようになりたくなった。県内に漢詩の教室があるが調べたがなかなかない。富岡市に富岡漢詩会というのがある。そこへ電話をして「漢詩の読めない字を教えてもらうことは出来ますか。」と聞くと、「富岡漢詩会は漢詩の詩を作るところです。字を読むところではありませんよ」とのこと。は〜。「でも良かったら7月に23期生を募集していますから見に来て見たらいかがですか」。富岡漢詩会の会員はおよそ90人いるという。90人? ビックリ!!

明治時代ごろが特に盛んに漢詩が読まれたということだ。少しでも江戸時代後期から明治大正の息吹を感じとれたらいいな。私の脳味噌の皺も何ミリか増えるかな?

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7月になった。富岡公民館に着いた。見ると茶色い煉瓦模様の3階建ての建物で、2階に「富岡漢詩会」と立て看板が書いてある。未知の世界の扉をノックする自分がいた。教室の中には白髪の年輩者ともう一人年輩者がもういた。初めましてこれから宜しくお願いします。と挨拶を交わした。しばらくして、次々に6人が入って来た。随分やる気充分のような男の人が、私の机の左側に座った。どんな顔をしているか半分しか見えない。他の人は私より後の席なのでまったく見ることができない。

皆さんそれなりに年を重ねて来た人たちだが、さすがに初めての顔合わせなので、一種独特の間合いがある。私を始め皆さん体に力が入っているようだ。フワン、フワン感でいっぱいの様な雰囲気のなか、白髪のN先生が「皆さん」と口火をきった。

「これから皆さん7人は23期生です。これから一緒に10カ月間漢詩の勉強をして行きましょう。では、最初に班長をこの中から決めて下さい。」

私は顔を下に向けて、私にならないようにと思う間もなく、私の左側の人が「はい」と右手を高々と上げた。「私が班長をします。え〜、私は全部主席でできると思います」と言う。

私の経験では、こういうたぐいのものは、なかなか自分から班長や幹事をしますと、手を上げる人はいない。他の皆さんもほっとしたのではないか? 皆が拍手して決まるとN先生が、「じゃあ班長さん、皆さんに号令をかけて下さい。」。何十年振りだろうか、号令にあわせて起立した。椅子がガガガと音をたてて皆が起立した気配で、よろしくお願いしますと頭を下げた。「着席」と班長がいうと、また椅子がガガと音をたてた。

N先生が、「右側の席の人から起立して自己紹介をして下さい。」と言う。恥しいが、挨拶をしている人の方を振り向く勇気がなかった。私のほかの6人の23期生は、全員男女とも、どうして自分が漢詩を勉強したいのか、はっきりその目的を一人一人話をした。

オイオイ、皆何者なんだ。私はとんでもないところに来てしまった。そういえば来る前に「富岡漢詩会は元先生が多い」と聞いていたが。

左隣りの班長さんは挨拶で「漢詩を勉強していればボケる暇はないので、私は120歳まで生きられると思います。」などと言った。おおぃ、逃げ出したい。タスケテー。出入り口のドアを見ると、なんだか内側のノブが外れてなくなっているように感じられた。あれでは逃げられない。

というわけで、男性3人女性4人に先生2人で、未知の漢詩の世界へ歩きだした。

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だれだか大昔の武将を思わせる人物が入って来た。ドッシリと腰を下ろす。次いで、もう一人の人物が入ってきた。ずいぶん威厳に満ちた人物2人だ。威圧感さえ感じた。戦国武将の位の高い人物が現在に現れたらこんな感じかな? 一人は会長、もう一人は選者のS先生だという。

私の電話に出てくれた人物はどうもS先生のようだ。S先生が「漢詩は難しくないからだれでも漢詩は作れますから頑張って楽しみましょう」と挨拶をしながら、私を見て「漢詩の字を教えてもらえますかと電話をかけて来たのはお前か」とばかりに目が光った。ワオー。

何だかわからない内におわりの時間が来てしまった。「次の回までに最初の漢詩の作品を仕上げて下さい。」とN先生が言った。え〜。まったく分からないので私はN先生にお願いすると、手取り足取り教えてくれた。I先生も一緒になって教えてくれた。一息して回りを見回すと、もうだれも23期生はいない。俺の脳味噌はここにいていいのだろうか? でも今までにない先生の熱意にビックリした。

2回目の教室が始まった。N先生が「皆さん、これから全員黒板に自分の漢詩を書いて読んで
貰います。」と言った。私の体は夏なのに全身凍りついた。実力が丸裸になってしまう。

皆が黒板に漢詩を書き終えて自分の席に着いた。N先生が「では、順番に自分の漢詩を起立して大きい声で読んで下さい。」と言った。自分の番に来るまで他人の漢詩を聞く余裕は0である。

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私の番になった。読み終わるとN先生が「小板橋さん、こんな字は世の中に存在しません。」と言った。「天という字は、上の一の字が下の一の字より長くなくては天という字ではありません。」。続けてN先生が「この字も世の中に存在しません。」。「落ちる」という字だ。自分ではどこが間違っているのか分からない。少し間が空いた後にN先生が教えてくれた。今まで自分はどれほどいい加減な字を書いて世の中を生きてきたのだろうか? 冷や汗なんてものでなく、まさに太平洋の真っ暗な闇の底に引きこまれていく感覚を味わった。

N先生が「この23期生の中に漢詩がとてもうまい生徒が1人います。」と言った。一番後ろに座っている男性のYさん。私は振り返り、初めてYさんを見た。私は必死でもがいて、うきあがり、太平洋に浮かんだ丸太にしがみつこうとしていた。あの時、どうして嫌にならないで、丸太にしがみついたのか、今でもよく分からない。

10カ月後、23期の教室を卒業できたのは、男性2人と女性4人の計6名だけだった。その後、21期、22期、23期生が一緒に富岡の社会教育会館で、3年間漢詩を勉強してきた。

じつは今年がその3年目になる。

・・・・

漢詩の勉強が終わると先生を囲んで、他の生徒さんたちとお茶をすすりながら30分ぐらい世間話をした。ある日、「120歳まで生きる」と言った班長のKさんが、「昔アメリカに50万円で行った。あれは安かった」と私にもらした。その後の話で、Kさんは20代の頃に、アメリカを1年かけて自転車で1人で横断した人だと知った。見せてもらった当時の記事がこれだ。

1日平均130キロ、野宿しながら走った北米大陸2万8000キロ。アメリカ、カナダ、メキシコ、中米の北米大陸を約1年掛かりで走り抜いたガッツな自転車野郎がいる。群馬県甘楽郡甘楽町に住むKさん(25歳)だ。ほとんどが野宿で、1日の費用は、わずか600円。走行距離は延べ2万8000キロ。・・・旅の終りに近いメキシコ。テントの中でもだえ苦しみ、死に直面しながら「人生は短い。だから好きなことをしなけりゃ」と思い続けたという彼は、「ここで終わってたまるか」と冒険心をさらにつのらせたという。

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Kさん(25歳)は1975年の10月から76年の11月にかけて、愛車“エターナル”(BS―DC15)を駆って北米大陸をひとりでかけ巡ったガッツ・サイクリストだ。北米のシアトルから西海岸を南下してロスアンジェルスへ、そしてロッキー支脈を横切りフロリダ半島を1周。さらにワシントン、ニューヨークを走り抜け、北上してカナダに入る。再び南下してロッキー山脈を縦走して、メキシコを経て中米へ。

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巡った国は10カ国、1日の平均走行距離は約130キロ。延べにして2万8000キロを走り終えて今思うことは、常にギラギラと冒険心をたぎらせておくことが成功の秘訣だったと彼は言う。それが結局、「普通の生活では味わえない何かを発見する」ことにつながるというのだ。費用はわずか50万円。1日わずか600円の生活費。しかも殆ど野宿で北米大陸を単独走破したのだから、彼の根性は並大抵のものではない。傘で雨水を集めて飲水にする方法、スコールを利用した入浴方法など、彼独自の生活の知恵を発見しながら、貴重な財産である世界の仲間との“友情”を確かめあう「世界はやはりひとつだった」と、彼は2万8000キロの冒険ランを終えて初めて実感する。

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と「サイクルスポーツ」という雑誌の当時の記事に書いてある。

今から39年前の25歳の時だというから、現在は64歳。私より3歳年上だ。39年前なら、私はアンクルサムのお店を出して6年目だ。やっと1年がどんな感じでお店の商品が回っていくか、またどんなフライマンがお店に寄ってくれるかが、分かり始めたころだった。それこそ自転車操業だった。今はますます自転車操業だ。

北米大陸の地図に絵が書いてある。東京12チャンネルでKさんの特別番組を放送してくれた時に、テレビ局が作ってくれたのだそうだ。そのナレーションは、夏目雅子さんだった、という。

少しこじ付けになるが、私のお店のアンクルサムの名刺には、アメリカ合衆国の絵が書いてある。小さいドライフライの絵は、自分自身でアメリカにいつか行ってみたいという願望の印だ。でももうその時にはKさんは実行していたんだな。北米大陸2万8000キロに挑戦する前には、自転車で北海道から沖縄まで日本1周をやったのだそうだ。

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23期生は皆、雅号をもらえることになった。

富岡漢詩会で「雅友(がゆう)」という自作の漢詩を載せた本を、5年に1回作っている。私も二首その「雅友」に乗せることができた。本当は勉強を始めてから5年たたないと、世の中に出すことはできない決まりになっているのだそうだ。まだ3年目の私は運がよかった。

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私はまだまだ駆けだしだ。最初の頃は選者の先生におい、おいこっちこいなどと呼ばれていたのが、最近は「あなた」などと呼ばれる。いつになったら名前か雅号で読んでもらえるのか、その時までは、だまって丸太にしがみつき、太平洋を犬かきしようと思う。常にギラギラと冒険心をたぎらせて。

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漢詩会に行く途中、牛の放牧風景に巡り合えた。Kさんにもらった竹の子を煮て、竹の子御飯を作って食べた。

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バンブーロッドをかじるとこんな味がするのかな?

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小板橋伸俊(アンクルサム/群馬県安中市松井田町)


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2015年04月11日

群馬の田舎者が東京のお正月へ

年の暮れに東京へ行った。姉のリクエストで「たわらやの生菓子をお土産に持ってくるように」、とのことだった。生菓子なら何でもいいということではなく、「私の好みの生菓子だからね」と、念を押された。こういう時、好みの生菓子でない時はけっこうブーブー後を引く。私的にはたわらやの生菓子はどれもおいしい。たわらやは味噌饅頭だけじゃないよ。いつも暮れからお正月は生菓子の種類が増えるので楽しみだ。

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フンパツして20個箱詰めにしてもらった。松井田駅まで歩きで行く。車で行くとお客さんに「何日間、駅に車がとめてあったけど、どこへ行っていたのですか」と聞かれちゃうもんだから、歩きと決めている。途中、中瀬橋の碓氷川を渡る時は、強い風が吹こうが両手がふさがっていようと帽子が飛びそうになっても、どうしてもライズを探してしまう。橋を渡り切るまでに、ハヨ(ハヤ)でもいいからライズを見せてくれと、歩く速度を落とす自分がいる。こんなに寒いのだからライズなんかないかと、脳味噌がひとりごとを言いながら、急勾配の曲がりくねった階段を上り、東京へ着いたのはもう薄暗かった。


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さっそく姉は生菓子の箱を開いて、「どれも私の好み」と喜んでくれた。



次の日は大晦日で、大手町駅から皇居を一周しようと、ぼつぼつ歩きだした。話には聞いていたがひっきりなしにマラソンをしている男女が、それもけっこうな確率で外人の男女も駆けて来る。皆センスが好い。まるでフォックスファイヤーのカタログから飛び出て来た様な服装で、お尻には小型の水筒が弾んでる。私の地元の田舎でも、朝まだ暗いうちに何人か女子も町内でマラソンをしているが、当たり前だが寒いのでかなり着こんで走っているし、水筒なんかお尻で弾んでいない。


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白い息を吐きながらオハヨウございますと小声で言って私を追い抜いていき、私が数十メートル歩く内にはもうはるか彼方、米粒のようになっている。


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道路の向こう側に毎日新聞本社? 私がいる方は左上の方に東京国立近代美術館がすぐそばに見える。私はどちらを選択するか信号待ちをしていたら、橋の踊り場みたいな所に絵を描いている年輩者が一人。「あのちょっと絵を見せてくれますか?」「構わないよ」「これって油絵ですか」「そうですよ」「まだ時間がかかりそうですけど、あとどのくらいかかりますか」「そうですね、あと1時間ぐらいですかね?」


私が見ていた絵は、まだ下絵のように見えた。どんな絵に仕上がるのか。なぜだか急に完成した絵が見たくなって、自分でも思いもよらない言葉をはいていた。「もしかしてこの絵は売ってもらうことは出来るのですか?」何と「いいですよ」と言ってくれた。私もずいぶんいい加減な男である。まだ絵は半分も出来ていないのに、いつもは人の後ろで、ウジウジしている自分であるが、自分の興味がある物は変に別人になれてしまう所があり、もうその時は「いくらぐらいですか」と値段を聞いている自分がいた。こまった性格だ。あ〜。


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(まさか買いはしないよな、言ってみただけだよな)と、こころのなかで確認した。しかしその年輩者は「いくらぐらいかな」と、具体的に数字を出してきた。「へ〜。じゃあと1時間ぐらいはここで絵を描いているのですか?」「そうですね」「ま、頑張って下さい」。



私はお濠沿いの方に信号機を渡った。あれ、さっきまでと違う。マラソンランナーが、誰一人走っていない。でも確り私の左側にはドーンとお濠が続いている。すると何処かで見覚えのある、特徴的な屋根が見えて来た。日本武道館だ、日本武道館って、こんなところにあるんだ。へ〜。それからあれ、あれ、九段会館てこんな所にあるんだ。確か3.11のとき天井が崩れて、怪我人が出たとニュースで行っていたよな、歴史を感じさせる趣のある建物だ。歩を進めるとあれ、さっきの武道館の前に戻り、若い人たちが行列を作っていた。どうやら藤井フミヤという人のコンサートが今日の大晦日にこれからあるようだ。ファンて、有難いよな。


ひっそりした道路を進むと、あの橋の信号に出て来て、腕時計を見ると約1時間だ。まさかとは思ったが、亀が顔をニューと出すような感覚で覗きこんだ。あの年配の画家がいた。ちょうど帰るところで、キャンバスを持ち、道具類を押し車で2、3歩歩きだしていた。あと1分遅かったら、会えずじまいですんでいたのに。と思ったその時はもう、私から声をかけていた。「絵は完成しましたか?」「出来てるよ」「じゃちょっと見せてくれますか」「いいよ」。


まだ絵が渇いていないので、キャンバスの留め具を外して見せてくれた。最初見た時とさほど変わっていないように私には見えた。何だかぐちゃぐちゃの、よく分からない絵に見えた。「どうもお騒がせしちゃってすいませんでした」と断る自分と、「皇居のお濠をまわった記念にどうだ一枚」という、もう一人の自分がシャシャリ出て来て、その時はもう値段交渉をしているではないか。


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あれれ、と思っているうちに、「すいません、描いた絵をバックに写真を獲らせてください」とシャッターを押していた。「すいません、絵にサインを入れてもらえますか」というと、せっかく片付けたのにまた絵具を出して、サインを入れてくれた。「お歳は」と聞くと「82歳」と答えてくれた。サインはUCHIMA≠ニ書いてあるように見えた。嬉しいのか、「私も今回の絵は物凄くいい出来だと思いますよ」と何回か言う。言えば言うほど、私の直感が崩れ落ちていく感覚に襲われた。


UCHIMAさんは、私が絵が持ちやすいように荷造りしてくれた。美術館の方に歩いて行けば皇居を一周できる。群馬から来たのならぜひ一周してみて下さい、と促された。ひとつ多くなった荷物を右手に持ち、また歩きだした。マラソンをしている人が私を追い抜いて行く。



お濠の石垣にはおどろいた。まるで、日本中の川の石を1回どころか3回ぐらい集めたのではないかと思わせるぐらい、お濠の石、石、石は続く。国会議事堂が見えて来た。へぇ〜、こんなところにあるんだ。ゴジラが口から火を吹いて、今にも現れそう。私の脳味噌は全開だ。


マラソンの人が何人も桜田門に吸い込まれていく。ここで足を踏ん張って止めないと、桜田門外の変のあった155年前の3月雪の日に迷い込みそうな予感がした。


彦根藩のお屋敷は桜田門から約600メートルぐらいにあったらしい。暗殺は約3分で終わってしまったようである。太ももから腰に弾が貫通したのが致命傷らしい。155年前に井伊直弼さんが、この辺で命を水戸浪士に奪われた。時代は変わっても、その当時の濠とか石垣は変わらない。井伊直弼さんが普段見ていた景色を私も共有できたと妄想するだけで、偉くなくて普通の庶民で良かったなと思える自分にホッとして、なぜだか周りを見回した。


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学校の歴史の教科書の1ページぐらいの説明では、歴史を深く知ることは難しい。自分が興味を持ったら本なんか読んでへぇ〜なんて言ってないで、現地に出かけて自分の脳味噌に肌で感じてもらうといい。西郷隆盛と勝海舟らが無血で江戸開城し、江戸を東京と改称し江戸城を皇居にしたのは明治一年(1868年)だ。皇居を一周したことで教科書を1ページ読んだのとは違い私の体が脳味噌に実感を与えてくれた。あらためて無血で江戸開城って凄いことだなと思うことができた。



もういい時間になっていたのだが、よくばって東京駅が新しくなったということで、重たくなった両足で無理しちゃって、見に行った。こういう時ってついつい頑張っちゃうんだよな。


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辰野金吾さんが設計した東京駅舎があれだ。駅の正面にある白っぽいパネルが壁となり、東京駅は完成されているのだが、どうしても全景を撮ることができない。もう夕方で駅舎の窓から明かりがもれていた。昔の袴姿の睨みつけるような金吾さんでは無く、よく昔の形にきれいに仕上げてくれたと、金吾さんがうなずいているような空気感があった。その瞬間だけでもう辰野金吾さんの気配は消えていた。


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中山道といえばやっぱり日本橋だろうということで、日本橋を一回は自分の足で歩いて見ないことには「中山道の釣旅」のお題目に申し訳がない。着いてみたら、なんだ、これ。まわりの景観がメチャクチャだ、ただお金がかかっていそうなキングギドラもどきが、欄干に鎮鎮座ましましていた。私は毎朝、妙義山を遠くに眺めながら碓氷川を覗き込むときの、あたりの景色が大好きだ。中山道は松井田宿に暮らしていてよかった。


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時間があるので、東京スカイツリーにも行ってみた。首が痛くなるほど見上げながら写真を撮ったが、どうやっても全体が入らない。上に登ってみようという気も不思議と思わなかった。高所恐怖症だからではない。結局水族館に行った。魚でもペンギンでもなくクラゲが1番飽きなかった。


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東京スカイツリーの隣の建物で書道をやっていた。縦13メートル横3メートルの用紙に字が書いてあった。正月そうそう下世話な話だけど、場所代いくらなのだろう。先生はどう見ても30代の男の人だった。お弟子さんが明日もここで字を書くと言っていた。字の上手い下手とは関係なく、どこかの大金持ちの御曹司だろうかと思った。


次の日は明治神宮へ初詣に行った。はじめてのことだ。はるか遠くに見える、お賽銭箱ではない大きな箱へ向かってお賽銭を投げた。一番前まで行ってやろうと頑張ったが何だかヘルメットが欲しいぐらい皆さんのお賽銭の雨が凄かった。ほとんどが小銭だったようだ。お札もあったのだろうが、私には見えなかった。


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そんなこんなで私の2015年は始まった。帰る時に姉が言った。「大晦日に82歳のお年寄りから絵を買って上げたのだから、82歳のお年寄りもきっとよいお正月が迎えられたのではないか? だからあなたにはきっとよい年になる」。いつもの3倍の大きさののりで包んだおにぎりを、「途中でお腹がすいたら食べなさい」と、飲み物と一緒に持たせてくれた。私が帰り道にどこかの食べ物屋さんに寄って食事をする人間ではないことを姉は知っている。


高崎の駅の長椅子で、のり3倍のデラックスおにぎりをほおばって食べた。松井田の駅に着いたら今まで温かい車内にいたせいか、私の背骨が寒さでシャキッと目を覚ました。


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小板橋伸俊(アンクルサム/群馬県安中市松井田町)


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2015年02月18日

白戸さんが来るなら俺も(二)

白戸さんが来る日はどうも雨かも。なにせ、私は雨男ですからと白戸さんに電話で言うと、小板橋さん明日は天気ですから大丈夫です。次の日、なんとものすごくいい天気で、松井田駅に白戸さんが着いた。トイレに行かれるというので私が9本分のバンブーロッドを預かった。さすがにズシリ重さを感じて、ますますバンブーロッドを拝見するのが楽しみだ。

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白戸さん、お店に行く前に竹を見に行きますか。私もあれから竹藪を見ていないので、気になるのです。いやいや、先に竿を見て下さい。それからにしましょう。

ではどれから行きますか、じゃ竹フェルールの「点々」から拝見しましょう。1本目はめちやくちや点々のオンパレードだ。点々が凄いじゃないですか。2本目は点々が少なくなっている。3本目はますます少なくなっていた。いったいこれはなんという竹なのだろうか。白戸さんが「小板橋さん、日本には数えきれないほど竹の種類はありますから、分からないということですよ。」。たしかに、決めつけることは出来ないな、じゃ面白い竹とでも、しときましょう。

今までの竹の径とは明らかに違う。トンキンケーンが約7cmぐらいだとすると、この「面白い竹」は、約3.5cm。女竹は約2cm。繊維は細くなるに従ってすくなくなる。だけど少ないから、面白いこともたくさんある様な気がする。

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竹を削っても、点々は消えなかった。点々がある竹もない竹も、アクションは変わらないと白戸さんは言った。でも白戸さんは点々が何とも魅力的のように感じているようだ。右に同じである。

バンブーロッドを袋に入れて見ると、ワン&ハーフのためにトップが約30cm長い。袋の中で折れてしまうとまずいということで、約35cmのサックを竹にプラスして急きょ作ってもらった。そして何とか約束の日までに9本分間に合せてくれた。カラフルでいい感じにサックが出来上がっている。サックはあまり深く差しこまないで下さいとのこと。

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どうして今回は9本全部ワン&ハーフにこだわったのですかと聞いた。トップ側をなるべく後に持ってくることで、大きい魚がかかった時の竿先の負担が減るからと答えてくれた。白戸さんが持ってきてくれた9本の検品が終わった。じゃ御約束の面白い竹を切りに出かけますか。

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白戸さんは「2年前に竹取りにきたときは、竹なら何でも詰め込んで持ち帰ったけれど、今回はよい物しか持ち帰らない」と、意気込んでいた。小板橋さんここですよね。そうですけど、何だか少し竹が枯れていませんか。そういえば、でもそんなに竹が枯れているというほどではないと思います。でも点々がある竹が全然ないですよ。そうですね。

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真剣に探して中々見つからない。白戸さんは点々の竹が欲しかったようで、私は少し下の方に行き全体を見て見た。青い竹はあるが、やはり点々のある竹は無く、それでも白戸さんがどうにか2本探したようだ。


「小板橋さん、これじゃ修理分の点々の竹がない」。落胆している白戸さん。ない物はどんなに逆立ちしても出てこない。今回はみつからなかったが、何年かすればまた点点のある竹が生えて来る可能性を信じましょう。今日まで2年待った訳ですから、また楽しみに待ちましょう。慰めの言葉になっていないが、そういうほかに言葉がみつからなかった。

お店に帰り、裏で白戸さんが竹をリュックサックに入るように、節ごとに切った。私がどうして黒いマジックで線を引いているのですかと尋ねると、前と後が分かるようにです、と答えてくれた。測ったようにピッタリ竹が納まった。

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そうそう小板橋さん、この面白い竹の名前なんですけどね。安中竹と名付けたらどうでしょう。

私はビックリした。白戸さんが竹の名前まで考えてくれていた。そして、白戸さんらしい所は、別に何でも構わないのですがね、と遠慮してくれることだ。それだけ考えてくれていたのに現実は2本分ぐらいしかなかった。白戸さんが何でもいいんですけどね、と私にボールを投げて来た。すぐには答えが出なかった。じゃ何か考えます。

白戸さんに、先日お客さんが作って持ってきてくれた写真アルバムを見せた。白戸さんは、沈黙のまま見ていた。私だけが一人で、いいですよねとか、綺麗ですよねとか、凄いですよねとか,言っている。白戸さんに押しつけていたようで、申し訳ありませんでした。このアルバムはそのカメラマンのお客さんが、白戸さんのバンブーロッドで、至福の時間を味わえたことへのお礼の意味で、私と白戸さんにプレゼントしてくれました。

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これ頂いていいのでですか。もちろん預かっていたのですから。私も1冊貰いましたよ。それから、違うお客さんが、「白戸さんが来るのなら、私の写真も見てやって下さい」と言って渡してくれていた、イワナの写真3枚も見せた。「これは白戸さんのつくった竹フェルールですよ」「へ〜私なんか、イワナは30cmまでしか釣ったことがありません。35cmですか凄いですね」と白戸さんも感動している。

白戸さんが「私は不器用なので、努力してここまでやってきました。2人のお客さんにくれぐれもよろしく伝えて下さい」と言った。その言葉に私は物凄い重みを感じた。1月からバンブーロッドをまたつくりはじめますとも言ってくれた。こういうお客さんの実感というか気持ちが、白戸さんのバンブーロッド製作の励みになってくれるのかな。私もその橋渡しで少しでもお役に立てれば幸せだ。

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「中山道の釣旅」のコピーを100円ショップで買ったクリアファイルに入れて渡した。アルバムもそこに入れてリュックサックに入れた。白戸さんは嬉しそうだった。長いかえりの道中、電車の中で読んでくれるかな。

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私は「面白い竹」に何と名前を付けようか考えた。「安中竹」でもいいとは思ったが、ランデイングネットでもう「安中ネット」という名前を使ってしまっている。

安中市になる前はここは碓氷郡だった。私的には碓氷郡の時代の方が長かったし親しみが今でも残っている。その竹は碓氷川からわずか100メートルぐらいの所に生息しているので、今回は竹が取れた場所に拘ってみたいと思った。「碓氷紋竹」と私は名付けた。もう一つの女竹は、竹がとれた地区が八城(やしろ)という。そこで、「八城女竹」と名付けた。

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トンキンケーンが本物か偽物かとか、どこで取れたトンキンケーンか分からないとか、いいトンキンケーンはプロのバンブーロッドビルーダーが買い占めてしまうなどと、いったいどこまでが本当か分からないような話に振り回されるよりは、私と白戸さんの目で見て、二人で歩いて行ける場所の竹が一番間違いがないと思い、そのように地元の名前をつけてみた。

両方とも数に限りがある。多くのフライマンに見てもらうために、
私は初めての試みとして碓氷紋竹の点々が一番よく出ているバンブーロッドを非売品にしてみた。「碓氷紋竹バンブーロッド3/4#7‘0“竹フェルール&ノードレスのワン&ハーフ」と決めた。もう2本は売りものです。それから「八城女竹バンブーロッド3/4#6‘11“ワン&ハーフ」と名付けた。

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白戸さんは気にいってくれるだろうか?

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小板橋伸俊(アンクルサム/群馬県安中市松井田町)

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